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東日本大震災 その2

東松島市からしばらく運転して石巻市へ。

と言っても大きい市なのでどこか拠点となる場所が欲しいなぁとドライブしていると、地図に『イオンモール石巻』が。

大きそうだし良さそう、と三陸縦貫道を北上して到着。市内の移動は無料なのが嬉しいが、バイパス以上の速度を出して移動するのが怖かった…笑

次に向かうのは『震災遺構大川小学校』。東日本大震災の悲劇の象徴とされ、学校教育における防災教育の敗北(なのか…)とも言われる場所。

事前に献花台があることは知っていたので先程のイオンモール石巻で花束を購入。もちろん仏花というかお供えの花もいいけど、子ども達が過ごした場所に向かうこともあり、『どちらかと言うと綺麗目な花がいいなぁ』と思って店員さんに相談。「可愛い花の方が大川の子達も嬉しいと思いますよ」と背中を押してもらって購入。

完成した花束を受け取り、ふぅと一息ついていざドライブ。市内の外れの方とはいえ大きな川の近く。ここを津波が遡上したんだ…と自然の猛威を感じつつ到着。

その日はそこまで寒くなく、風こそ吹いていたが空は晴れていた。校門前に立った途端、なんだか不思議な感情に襲われた。『ここは半端な気持ちでは過ごせないな』と思った。それもあり写真は無いというか撮れなかった。

献花台に持ってきた花を供え、亡くなった児童や教職員、今現在も見つかっていない児童のことを思って祈りを捧げた。

学校校舎をすぐ見学しても良いかなと思ったけどまずは勉強を、と隣にある伝承館へ。入った瞬間の雰囲気や空気感はさながら学校っぽい気がしたのは自分だけかな。(たぶん床材のせい?)

あまり大川小学校のことを知らない状態で行ったので改めて勉強という意味でじっくりと展示を見て回りました。津波到来の時刻で止まった時計、学校の備品。

そして犠牲になった子どもたち(行方不明の子も含む)の展示。当時の風景を想像しながら見ていると涙が。

仕事上子どもたちと触れ合うため、子どもたちを守る大人の責任とそれに付随する行動の必要性について考えさせられる展示でした。


泣き腫らした目を治す時間の確保のため伝承館を出て校舎へ。思いつきで行った旅行のため語り部さんの予約を忘れたのをここで後悔。

周囲をぐるりと囲むように柵があるためそれに沿うように見学。少し距離はあったものの津波の破壊力をまざまざと感じました。根元から折れたコンクリートとか見ると、ね。

一通り見学後、ふと斜め上に目を向けると(裏山方向)「津波到達点」の看板が。当時はここまで波が押し寄せたんだなぁと感じると共にその高さにびっくり。そして当時避難場所の1つとして考えられていた「三角地点」(呼び方合ってるかな?)へ。

確かに校舎よりは高めで避難場所としてはパッと見良さげのように見えましたが、当時の写真の津波漂流物が溜まっていたのを思い出して「ダメじゃん」と。


もう一度来たい。その時は語り部さんを予約して「生の声」を聞きたい。また『人生の宿題』が増えた。


閑話休題。トマオニのハンバーグ。おいしかった(๑'ڡ'๑)୨♡






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