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映画 オオカミの家 感想

本記事は、「オオカミの家」のネタバレ感想または考察について書いたものです。

初公開: 2018年製作/74分/G/チリ
日本劇場公開:2023年8月19日(ヒューマントラストシネマ渋谷、他)
監督:クリストバル・レオン/ホアキン・コシーニャ

オオカミの家 ファンアート

虐待の主客が曖昧になる、という物語なので当然、マリアとアナ(ペドロ)どっちもをやらなくてはいけない、と思い子豚もやってみました。

映画『オオカミの家』はコロニア・ディグニダをモチーフにしたストップモーションアニメ、という事前情報があったため、前夜に『コロニアの子供たち』(2021,マティアス・ロジャス・バレンシア監督)をu-nextにて鑑賞。
観なくても「何もわからない」という感じではなかったですが、事前に見ていたから楽しめたところもありました。お時間に余裕がある方は是非。

以下は映画『オオカミの家』の本編に触れる感想のため、これから鑑賞する予定の方はブラウザバック!

絵画版のアナとペドロ

オオカミから逃げて森の中の小屋に入ったマリアが、オオカミに怯えながら2匹の子豚と暮らす、というあらすじです。

壁に描かれた人や家具、カメラ、空間に存在する物が同時に動いていくため見ていてとても楽しかったです。

楽しかったのはビジュアルだけで、正確に言えば心に尋常じゃないストレスがかかりました。子豚が受肉して人間になる(ことを願う)グロテスクな展開や、抑圧されていた側のはずなのに気づいたら同じことをしていたりとか、うわああああああ(思い出すだけで心に来る)

立体版のアナとペドロ

ちょうど『クリスマスデート おススメ映画』みたいな記事を書こうかなと考えていたこともあり、クリスマスツリーがうつったときに、『オオカミの家』でクリスマスおうちデートか、等と意味不明なことを考えたりもしました。クリスマスにそんなに自分を戒めなくてもいいと思うよ。

終盤になるにつれて映画の不穏さは増していきます。オオカミからマリア、マリアから子豚へと連鎖する抑圧、子豚からマリアへの暴力、支配から逃げることに疲れてしまったマリアは「オオカミの家へ帰る」という選択をします。

疲れて木曜夜のOLみたいになってるマリア

この映画は「コロニア・ディグニダの宣伝ビデオ」(プロパガンダ)として作られているため、実際の絵本の物語の中で子豚を手にかけて"食べた"のはマリアではなく"助けに来たオオカミ"ということになっています(だからみんなもコロニアへ行こう!という宣伝)

オオカミはずっと「マリアの心の中にいた」と言っているし、実際にはおそらく闘いに疲れ果てたマリアなんだと思って苦しい気持ちになりました。

コロニアという特殊な環境の悲劇じゃなくてどこにでも転がってる話だからキツいんですよね、、、ブラック会社(社会?)とはいえ毎月お金は貰えるから加担する、加担するから存在が強化される、生き延びるためには慣れて体制のことを考えるのをやめた方が楽、気づいたら新入社員にハラスメントする側になってた、みたいな話じゃないですか。

「自由でお金があって豊かな記憶しかない」人なんていないと思うので、誰しも心にオオカミとの闘いの記憶があると思うんです。8歳くらいまでで辞めて特定のイデオロギーや体制に馴染めた人もいれば、わたしのように30歳を目前にしてまだ森の中を逃げて風俗嬢をしている人もいると思うんです。

わたしはまだ逃げていますよ、全力で。

映画をみて、オオカミになることなく、オオカミから逃げて誰かと生き延びることなんてできるのかと大変な不安に襲われました。今はまだ、オオカミを殺す武器と、オオカミにならない強さと、子豚に絶対ならないタフな仲間が集まったら嬉しいですね。


みんな、もうダイナソー・ファイターはみたかな?素手で恐竜倒す、インディペンデントカンフーSF映画だよ🦕🦕🦕

最後まで読んでくれてありがとう。これからも、
suzukaの映画日記をご照覧ください。

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