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幕間映像で限界になった王国民ドールオーナーの話

この記事は“ ゆかりっく Advent Calendar 2021 ”の21日目の記事です。

昨日はパネル職人さんの「ゆかりのためならどこへでも!全国15000キロの大移動&美食の旅日記」でした。
非常におなかが空く旅行記でしたね…ニッコリ
途中から仲間になった虚無りんがおしゃれをしていたりしたのが個人的に好きでしたね。楽しく拝読させていただきました!
未読の方は是非こちらもご覧くださいね。

こんばんは。こんにちは。
悠未です。

去年一昨年は見ているだけだったアドベントカレンダーに今年は参加させていただくことになりました。
普段あまり文章で何かを伝えることはしないので、読みにくく分かりづらい所もあるとは思いますが諦めてお付き合いください。(圧)




幕間映像。それはゆかりんのライブ中、みなさんの楽しみの一つになっているコンテンツかと思います。

毎回ストーリーがあったりコンセプトがあったり、切なかったり面白かったり、ただただゆかりんの可愛い姿が見られる映像だったり。
さらには公演毎に違うストーリーであることもままあり、ゆかりんが舞台上にいない間も我々王国民を存分に楽しませてくれる、そんな存在。

今日は、「田村ゆかり LOVE ♡ LIVE 2021 *Airy-Fairy Twintail*」で流れた幕間映像のひとつ、ドールゆかりんの映像についてのお話をさせていただきます。

ストーリー及び初見で限界になった話

ツアー初日。
大宮で、久しぶりのライブに大はしゃぎしていた私は幕間映像が流れ出した瞬間、別ベクトルのテンションが爆散するのを自覚していました。

(ファッ!!!!???キャストドールキタ━━━━━━━━━━━ !!!!!)

全く別ジャンルである趣味同士が邂逅し「ゆかりん×ドール」というなんとも俺得な空間に、つい前のめりになりながら眼鏡をしっかりかけ直すというオタクムーブをかましてしまいながらも、私はなんとか心を落ち着かせ映像に集中することにしました。

赤いドレスを身に纏い、黒髪ツインテールのウィッグを被ったお人形…所謂ドールがそこに居りました。そしてこのドールちゃんが、今回ゆかりんが扮する役どころです。
ドールちゃんのお顔は、重めの前髪や照明の具合も手伝って顔の上半分が意図的に見えないようになっておりました。我々オーナーは忘れがちですが、ドールに馴染みのない方にはグラスアイと呼ばれる瞳(ガラスでできた眼球)が怖く感じたり、不気味に映る方もいらっしゃると思うので、納得の演出です。

また、アイや目元のメイクはドールの雰囲気を決定づけてしまうものであるため、ここを想像に任せる(元々のドールちゃんの雰囲気と、ゆかりんのイメージの乖離を避ける)意味合いもあるのでは……と思うのは考えすぎかもしれませんね。


そんなドールゆかりんを映像の中の彼はドールオーナーとして愛で、またドールゆかりんがオーナーから触れられる度に嬉しそうにする様子に、私はなんとも言えない幸福感に包まれてゆきます。

と同時に、王国民としての私もちょいちょい顔を覗かせ

ーあっ!ちょっと!そんな顎に触れるとかイインデスカ
ーゆかりんのお手手にぎにぎ羨ましいぃぃ絶対すべすべやん
ー御髪を触る権利を俺にもッッ

などと脳内が大変騒がしいことになっている間にも、映像はどんどん進みます。

オーナーさんに愛でられ写真を撮られ、幸せそうに微笑むゆかりんを見て、もしかしたらうちの子もこんな風に喜んでくれているのだろうか…と幸せな気持ちに浸っておりました。


次の場面で、急にゴミ捨て場に雑に捨てられてしまい慌てましたが、ゆかりんドールは目を開け己の意思で動けるように。
生まれたての子がゆっくり世界を、自分を認識していく様が初々しくて、ワクワクするパートでした。途中で自分の顔を見て、自分めっちゃ可愛い!って気がついちゃったところが特に好きです。
自分で選んだお洋服に着替え、自分の足で好きなところへ赴き、好きなお花を選び、初めての世界を満喫するゆかりんドールちゃん。
このパートもにこにこして見終えます。

※ライブパートを割愛※

過去の回想でしょうか。突然、オーナーさんが2体目のドールをお迎えされました。
新しい子に夢中になるオーナーさんに、嫉妬するドールゆかりん。かつては自分の写真だけで埋め尽くされていたであろうボードに増えた2体目ちゃんの写真を一瞥し、こちらを見てくれないオーナーさんに失望する…。

ゆかりんの痛々しい程の嫉妬の表情に、もう悲しすぎて悲しすぎて嗚咽を漏らしてしまいました。他の子を構うことで、あんな顔をさせてしまっているなんて…!
ドールオーナーにとって「初めてお迎えした子」は特別な存在です。何人お迎えしたって1番大好きです。だから、そんなに悲しい顔をしないで…

うちの子の話ではないのに、もしもうちの子もそんな気持ちだったら?と感情が限界を迎えていました。(ご近所席の皆さんには申し訳なかったです…。)

※ライブパートを割愛※

時間軸が現実に戻り、世界を楽しんだドールゆかりんはとあるビルの屋上までやってきていました。
おもむろにスカートのポケットから取り出したのは、捨てられ動き出す前、オーナーさんに着けて貰ったネックレス。

寂しい想いや嫉妬に駆られたこともあったけど、オーナーさんに大切にしてもらった思い出を抱きしめ、ゆかりんドールちゃんは元のドールの姿に戻るのでした。


なんて切ないお話なんだ…健気なんだ…

捨てられてしまっても尚、オーナーさんのことが好きでその気持ちを胸にドールに還るゆかりん…
帰ったらうちの子達と遊ぼう。初めてお迎えした子に大好きだよって言おう。

胸をぎゅーっと締め付けられるような気持ちで、私は初日を後にしたのでした。


後日職場の同僚に、ゆかりんのライブでこんなお話があって!!と聞いてもらったのですが
『あ~ 人形ってだいたいそういう悲しいストーリーに使われがちだよね』
というような反応(感想?)をもらいました。
それを聞いて、自分の中で“悲しい”という単語に違和感を覚え、実際確かに嗚咽して胸を締め付けられはしたけれど、どこかしっくりこず…

もう一回、いやあと何回か!
今度は感情に流されず、もっと確り見ないとな…と次の公演への意識を新たにしました。


べーやんさんからのヒント

AFTも何公演か過ぎたある日、べーやんさんのスペースにお邪魔し幕間映像の話になったことがあり、その時に彼女から聞いたお話が目からウロコなものでした。

『オーナーの服装やお部屋の調度品が、現代ではなく明治とかそのくらい前のものな気がする』

ドールにばかり目がいっていた私は、言われて初めて気が付きました。本当だ…!!
となれば、初日に抱いた映像への感想はガラッと変わってきます。

ドールの顔に触れる

ここで細かいですが、映像のオーナーさんの行動で気になった点をお話させてください。

※前提として、ドールには大まかに2つの種類があります。キャストドールとソフビドールと呼ばれております(ビスクドール等もありますが今回は割愛)。今回の映像に出てくるドールはキャストドールだと判断し、それを踏まえてお話しております。
キャストドールは硬い材質で出来ており、重みがあります。お顔のメイクは一体一体手描きとなります。ウィッグやアイ、ドレスを自分好みにカスタムして楽しみます。

キャストドールのお顔は、手書きメイクの上から仕上げのスプレーでコーティングをしているのですが、硬い布が擦れたり爪で引っ掻いたりするとすぐ禿げてしまう繊細なものです。素手で触っていてもだんだんコーティングが禿げてきてしまうので、みだりに顔に触れるのは控えた方がいいということになります。

た だ!

ドールのオーナー本人に限っては、自己責任でお顔に触れることもあります。好きすぎて好きすぎて、ほっぺたや顎などにそっと触れてしまうのは“あるある”なのです。なので映像の彼も、きっとゆかりんドールちゃんのことが愛おしくて愛おしくてたまらなかったんだな…というのがこの仕草で見て取れました。


ネックレスだけ持っていた理由

みなさんは、お着替えした後のゆかりんドールちゃんが、ネックレスだけ持っていたのは何故だと思いますか?

持ち運び易かったから?
全てを置いていくのが忍びなかったから?
オーナーさんとの思い出があるものだから?

…私は、ネックレスには強い思い出があるのだろうなと考えています。

ではなぜネックレスに強い思い出があるか。


貴方は、細くて短い紐を小さなリボン結びにできますか?

ドールオーナーが初めてお迎えをした際にぶつかる壁が「ドレスの着せ付け」です。
赤ちゃんよりも小さいサイズなのに、立派に付いたボタン、ファスナー、フック、リボン。
四苦八苦してなんとかドレス、ソックス、靴を着せ付け、ウィッグやヘアアクセサリーを付ける。

そして最後に、ネックレス。

ドールゆかりんの衣装を見ると、ドレスにもたくさんのリボンが付いていますがその多くは縫いつけてあるものです。
きっと映像のオーナーさんは、あの結ぶタイプのネックレスでとてつもなく苦労したのではないでしょうか。
細く小さく綺麗なリボン結びを1発でできる器用な方もいらっしゃるでしょう。

でもきっと彼は違った。

何度も何度も上手く結べず練習をして、もしかしたらそれをドールゆかりんはハラハラしたり、ソワソワしたり、くすぐったくてモゾモゾしながら見守っていたのかもしれない。

そうしてやっと、綺麗に結べるようになった。

そう考えると、ネックレスが思い出深いアイテムになるのも頷けます。そんな、オーナーさんを強く思い出させるアイテムだから手放せなかった。


最後ドールに戻ったのはなぜ?

映像初見時は、「飽きられたり捨てられたり、いろいろあったけどやっぱりオーナーさんのことが好きだったなぁ」でドールに戻ったのだと思いました。

しかし何度か映像を見て、べーやんさんからのお話も聞いて、考えは変わってゆきました。

ゆかりんドールちゃんが捨てられてしまったのは現代。オーナーさんがゆかりんドールちゃんを愛でていたのは(暫定)何十年も昔。

きっとオーナーさんは亡くなってしまって、ゆかりんドールは親戚か若しくは縁のある方に譲られたのでしょう(いわゆる“里子”とは違いドールに興味のない方へ)。しかし、興味のない方にとってはドールは怖かったりきもちわるかったり、そもそもどうでもいい…というような存在。仕舞い込み、保管していたが限界になり捨てられてしまった。そしてドールゆかりんは目覚める。

目覚めたゆかりんドールちゃんは、ゆっくりと自我に目覚めながら現代を散策。自由に動けることを満喫しながらも、徐々に理解したのではないでしょうか。私の大好きなオーナーさんは、もうここにはいないんだ……ならば、私もこの世界に未練はない。

花火の歌詞と、ここがリンクしているのでは。

「興味を失われて捨てられたけどオーナーさんと過ごした日々は忘れることはできない。嫌いになれない」ではなく、『興味を失われて捨てられたと思ったけどそうじゃないのね。たくさんの思い出を貰ったこの世界に、彼はもう居ない。なら思い残すことはないわ』の、ドールちゃんからオーナーさんへの愛のお話だったのだと。

Pink  Pygmalionのように、まっさらなドールがオーナーさんに染められ二人が離れられないように


終始一貫ひたすらに、オーナーさんがどのくらいドールゆかりんを愛していたか
ドールゆかりんがどのくらいオーナーさんのことを愛していたか

そんなお話、だったのかな…


私はドールオーナーとしての解釈を最大限いいように利用して、自分の中で勝手にそう結論づけたのでした。

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あとがき

ここまで私の妄言を読んでいただきありがとうございました!

いやもう本当に長々とすみません。
ここまで読んでくださった方…五体投地でお礼申し上げます。

ドールオーナーとしての解釈や常識はこれが全てではないですし、私はだいぶウェットめオーナー(ドールやぬいぐるみを喋らせたりする)なので、「ワイはそう思わんが」なオーナーさんもいると思いますので、話半分で聞いてくださると助かります。

AFTでは本当に俺得な幕間映像で、いつもの倍ライブが楽しかったです。

今回も、ゆかりんのお芝居の表現力に脱帽です。

ゆかりん、スタッフの皆様、そしてモデルとなったドールちゃん達。ありがとうございました!


明日はロックちゃんさんの「五郎さん作詞のココが素敵!」です。

お楽しみに!


追記

ドールが気になった方へ
私はボークスさんのSD(Super Dollfie)というお人形をお迎えして愛でております。こちらから色々見られますので、参考までに。




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