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谷口杯リベンジ振り返り

お疲れさまでした。谷口杯に出るまでの経緯をまずは書こうと思います。

大会出ることを志したきっかけ

~チームリーダーになるまで

  • 僕はもともとbmsプレイヤーで、ゲーセン片道一時間半くらいかかるくらいの場所に住んでいました。大学の関係で、ゲーセンには行けて週二くらいのペースでした。

  • でも、鍵盤ゲームにはハマっていました。

  • ということで、小目標の発狂皆伝をまず達成したら、大会にエントリーしてみよう!と軽い気持ちで応募するようになりました(それがCHくらいです)

  • レジデントでべあー杯のドラフトには候補で残れたものの、やっぱりまだ戦えるレベルではなく….

  • 一発勝負に弱いことを考慮しておつりはない実力でした。

  • そこから少し大会に出ようと考えるのはやめることにしました。まず自分が積み重ねれることを確実にやる。そう決心しました(レジデント中盤)

  • しかし、部活で靭帯損傷。けがしてしまいました。箸すら持てない状態となり、そこから一度音ゲーをやらなくなってしまいました。

  • それからなんやらでEPOLISの中盤くらいになり、ちまちま音ゲーはしていました。大学を卒業し、大阪に引越。ここからまたアーケードをひたすら頑張る日々が続きました。

  • 2024年4月段階では12BPIが42くらいでした。前作の終わりのbpiには戻ってこれたという感じです。そこから毎日どれを伸ばすか、どのbpmを主体的にのばすかをひたすら考えました。 結果的に、bmsで培ってきたnormal判定の中速曲が主戦となり、ここで大きく僕の大会で戦う分野がカッチリした感じです。 そこからレベル10や11の曲を丁寧にアップするようになり、さらに判定がよくなりました。AA3604 SSSダリア98個 華爛漫ダリア20個(99%)

  • 中速はほぼ完ぺきといってよいレベルに自己ベストはだせました。

  • 特定の分野のみ自選を通せるレベルにはなった

  • ということで西の大きな大会、谷口杯(2024年6月)にエントリー。(多分今回で4回目くらいになるのかな)本選はまたもやレベルが高くなり、指名されず。

  • 正直心が折れそうでした。悔しかった。やっぱりbmsだけでやってきた人には無理なのかな。また悪い思いが再び出てきてしまいました。それから再びbpiとにらめっこする生活に戻ったんですが、そんな時にふと訪れたのが、しこにゃん先生主催の関西飲みでした。僕のホームであるGIGO難波アビオンに見たことある人しかいない集まりが8月にありました。そこで、谷口杯に出ていた選手が数人いた中、ちはやさんとお話しました。

  • 「もりたくんならチームリーダーになれると思うよ」
    その時隣にいたけんぞーさんとしこにゃん先生も軽く頷いてくれた。

そうだ、ちはやさんも悔しいに決まってる。俺だけじゃない。


谷口杯には特定の課題曲を一位で通過すると出場確定になれるルールがあるので、12の課題曲を詰めれば僕にも可能性があるとのこと。

やってみるか。再び熱を取り戻しました。
もっと勝つことだけに集中したい。

12の課題曲の期間が始まった瞬間に自己べを更新しました

ANCHOR MAX-106

最終日までになんとかあと10点。10点伸ばしたい。そう思って最終日に4時間くらいアンカーだけを粘着していました。
足ガックガクで手も震えて吐き気も止まらない。でも結局伸びなかった。
課題曲の時点でもメンタルが弱い部分が出てしまったと反省。
今回は2位もチームリーダーになれるルールだったので、リーダー権獲得。
正真正銘自分の手で勝ち取った出場権利です。
頑張った、、、。

次回:指名選手決め→試合当日まで