32歳独身閉経更年期障害女の半年

エッセイなんか書けやしないけど


そもそも本を読むのが苦手で文章を書くのも苦手な私にできるわけないのだけど、最近友人に今年起きたことを話したら是非、エッセイにしてほしいと言われたもんで、到底エッセイでではないけど、メンタルが安定しない私の気持ちの吐き出し場にはいいんじゃないかなと思って最近の気持ちの整理をしていきます。


整理:起きたこと

登場人物
F(私の元彼)
L(私)

1月:
子宮内膜症とチョコレート嚢胞の治療で飲んでいた薬が効かなくなり強い薬に変える。結果、薬で女性ホルモンを完全にシャットダウンし、32歳という歳で閉経/更年期障害になる。症状は主に、ホットフラッシュ、激しい動機、息切れ、激しい眠気と起き上がれないほどのだるさ。

クリスマスをイタリアで過ごしてた彼が家に帰ってきたときに喜んでもらえるように家をピカピカに掃除して、自分もヘアカット、ネイル、まつげ、新しいコートやヒールを買って空港までお迎えに行く。

2月:
金曜日
元彼Fが会社の飲み会へ行き悲しい顔で帰ってくる。どうやら違う席にいた女の子が可愛かったらしくドキドキムラムラしたとのこと。そして私に対してその気持ちがないことに気がつきショックだったとのこと。この時点で6年付き合っていた私達のことなので、私はマンネリが起こした倦怠期だとそんなに重くは考えてなかった。イシュードリブンな会社に勤めてるだけあって「どうやって解決していこうか」のマインドで話し合いを続けていた。カップルセラピーなんかも調べて、カウンセラーとも話したりした。カップル向けの記事なんかもたくさん読んだ。

私の子宮内膜症もあって性交痛があり、セックスレスにも陥ってた私はその治療方法に関しても健気に調べて、産婦人科のセカンドオピニオンやセックスカウンセラーとのセラピーも受けた。

そんな私を心配しフランス人友人が「5 love language」を教えてくれた。自分は普段から愛情表現をしているつもりでも相手に伝わっていないとしたら、それはお互い違う言語(Love Language)を話しているからかもしれない。人には基本5つの愛情表現のタイプがあり、それぞれ重要視するバランスがあり、何を求めているかも違う。こういったカップル向けのワークショップ的なこと二人で考えて見せ合ったりもした。

実際の私のノートの一部(全13Pに渡り書き起こした)


水曜日
夜中の3時、それでも彼が伝えてきたのは「そうじゃない、付き合い始めの頃からLに対して強いパッションや性的な魅力を感じていないことに気がついた。だからセックスする気にもなれないしこれは恋人としてみれていないからだ」だった。

心が突然底が抜けたように空っぽになり、更年期障害の症状も相まって、私は人生で初めてのパニック発作を起こした。

木曜日
私は38度の熱を出す。完全に知恵熱と思いつつ、解熱剤をもらいに病院へ行くとコロナ陽性…Fにも検査を受けさせ2人仲良くお葬式のような一週間を同じベッドで過ごすこととなる。


翌週 水曜日 バレンタインデー
前から行きたくてバレンタインデーのデートに予約していたおしゃれスパニッシュビストロのキャンセルを完全に忘れていた。コロナ明け初日、その日は外の空気を吸いに味覚を失ったまま、2人で食べに行くことにした。

彼は1人になりたいとしばらく消えて、涙ながらに「Will you be my Valentine?」と言い花束を持って帰ってきてくれた。これが私達最後のバレンタインなんだろうなと悟ったが、詰まる喉を堪えながらYesと答えた。


味がわからないまま食べたパエリアが、私たちの最後のデートだった。



整理2: セパレーション期間の開始


実質フラれたのは私なのに気丈に振る舞うのも私だった。彼は毎日私を避けるように外で家族や友人、精神科医とのセラピーを受け始めて、家庭内の会話はほぼなかった。それでも私は毎日、ご飯を作って待っていた。顔を合わせるたびに私のやさしさが辛かったのか、彼は泣いていた。

しばらくすると彼は1人の時間と場所がほしい、言ってきたので別居することになった。私はしばらく祖母の介護をしに行ってる母に会いに岡山へ、その場で片道切符を買った。母の迎えの車に乗った途端、ようやく滝のように涙が溢れてしばらく母の胸でワンワン泣いた。考えるとここまでよく耐えたと思う。

母が横浜に帰ってきてから、Fが出社の間に私の荷物を全て車に詰め、実家に帰った。

セパレーション期間が始まった。
そして、31歳独身閉経更年期障害女が爆誕した。


整理3:実家への出戻り

セパレーション期間はお互い、話さない・聞かない・干渉しない・デートなども自由にする・最低限の事務連絡(家賃とか)しかしないという約束になった。

デートを自由にしていいよというのは私から言った。完全に負け惜しみだったと思う。私じゃない女とデートやセックスをして私の良さに気付いてほしいという、馬鹿で浅はかな希望もあっての発言だった。のちに公開と共に、決別への道につながるので良かったと思うことにしよう。

3月
実家に帰ってきた私を家族は何も言わず、受け入れて普通に振舞ってくれた。愚痴りたい気持ちもあったけど、これが私の家族なりのやさしさなんだと思ってやり過ごした。

4月
彼から離れたら少しは楽になるかなと思ったら大間違いで、離れていればいるほど彼のことを考えてしまい、パニック発作は収まらなかった。むしろ両親が寝ている間の部屋に私の部屋があるので夜中にわんわん泣けず、声を枕で押し殺して過ごした。さすがに辛くなって、翌朝すぐにメンタルクリニックの予約を取り、一人で向かった。先生は30代?くらいの若めの聡明そうな先生。泣きじゃくりながら話しながらしっかり話を聞いてくれて、その場でうつ病の診断が下った。仕事もその日から休職期間に入った。

この時、メンタルへの影響が強すぎるとして、婦人科でもらった女性ホルモンシャットダウンの薬は飲むのをやめることになった。とはいえ元の薬に戻っても、ホルモン治療はしているわけで、抑うつ・低モチベ・閉経は変わらずであったが、前よりだいぶ楽になり、抗うつ薬の効果もありパニック発作は起きなくなった。パニック発作は本当に死んでしまうんじゃないかっておもってしまうくらい辛かったから、改善して本当によかった。。。


整理4:女としての私

パニック発作が収まってきたころから、色々友達に会って話したり相談したり落ち着いて感情や状況を整理することができ始めた。

自分で冗談で31歳独身閉経更年期障害女とかほざいてたわりには、女としてのアイデンティティを失ってしまった私が一番つらかった。

考えてみれば6年付き合っている間、ずっと太っているとか(実際パスタの食べ過ぎとピルの服用で20kg太ったが)見た目に気を使わないとか、ジムに行けとかという言葉や、インスタに絶対写真を載せてもらえない、ほかの女の子を平気で褒めて比較するなどのハラスメントは多々あった。今思うとあり得ないほど傷ついていたにも関わらず、初めての彼氏だったから、こういうものなのかな?としか思えなかった。関係がうまくいかないのは私のせいなんじゃないか?という自責の沼にはまり込んでいたのだった。

そしてついに、彼氏には魅力的じゃないと振られ、生理も排卵もなく、子宮内膜症で性交痛に悩まされセックスレスに陥り、私は完全に女としてのアイデンティティを失ったことに気が付いた。

こんなに傷ついて、ボロボロで、私は一体何をもって女なのだろうか?


整理5:鬱が私を救う?

鬱が人を救うわけはないんだが、抗うつ剤や気分を楽にする薬を飲んだりしていると突然、躁鬱状態でマリオでいう無敵のスター状態になることがある。そんな時に、彼との定期連絡(生存確認)で彼がほかの女と寝たと言ってきた。

その時私は決意した。
①「あいつを一番効果的にぶっ殺すにはどうしたらいいか」
②「私はどうやったら女になれるのか」

①に関しては、私が魅力的になって幸せになっている姿を見せること。SNSをブロックすればなどの意見も友達からはあったが、私は仕返しではなく見返しがよかった。結果的に痩せて、お別れする日は自分で1番綺麗な自分で会うことに決めた。彼は玄関を開けるなり息を飲んだ。勝ったと思った。今も可愛い自撮りを彼の見えるところに投稿している。意地悪かもしれないけど、これが私の精一杯の抵抗なの。

②に関してはやっぱり痩せる。パーソナルジムに通い6kg痩せた。(病んでた時点で食事がとれずすでに4kgは痩せていたので合計10kgのダイエット、去年から累計20kgの減量に成功した)

②-2セックスが重要だと考えた。いまこの状態でセックスに対して抵抗感を感じてしまったら一生女として返り咲けないという恐怖心にさいなまれた。そして行動に移すことにした。マッチングアプリで会った男とその場で寝た。そんなこと人生でやったことなくてド緊張してたし、痛みへの恐怖感で震えていたが相手も優しく、むしろ結果的に身体的なセックスの楽しさや喜びを味わって帰ることができた。

また、子宮内膜症のせいで痛みがあるとずっと思っていたが、相手の前戯の良さと丁寧さで痛みなど全くないことに気が付いた。そしたら途端に元カレFへの怒りが湧いてきた。

この体験で、セックスへの恐怖心はなくなった。そして、私を魅力的だと感じて抱いてくれる男が世の中にいると思ったら、そして痛みは私の体の病気のせいではないのだと思ったら、心がグッと軽くなった。きっと汚い行為だと批判する人もいるかもしれないが、私には絶対必要な経験だったと、後悔は一切していない。そして、この謎のメンタルに至るに至った、鬱と薬に感謝である(笑)

(この時、椎名林檎をたまたま聴いてたのだが、林檎様には頭があがらない。)

「一寸女盛りを如何しやうこの侭ぢゃ行き場がない花盛り色盛り真盛りまだ」

「あたしの名前をちゃんと呼んで身体を触って必要なのは是だけ認めて」

整理6:私が求めていたもの

②-2の帰り道、上野公園で号泣した。色んな気持ちが入り混じっていた。

1.女として返り咲くというミッションは遂げた。達成感はあった。
2.好きでもない男と寝たことに対しての悲しみ
3.好きな人とできない悲しみ
4.好きな人とできてたらどれだけ幸せな気持ちになれたのだろうかという考えても無駄な思い

そんな気持ちで泣きながら夜の上野公園で静かに泣いた。でも、この日、私はずっと失っていて求めていた「女に戻る」ことができた。

そして、これによって彼と決別する理由、戻れない、いや戻らない理由ができた。6年間抱えてきたモヤモヤに決着がついた日だった。

整理7:決別

4月後半
そんなこんなで吹っ切れた私は、彼にお別れを告げた。

彼からの反論もあった。よりを戻したいとの発言や手書きの手紙ももらった。でもどれも私には刺さらなかった。失ってから気が付いても遅いし、

女になった私は、強かった。

(ついでに7月に厄祓いも行ったからもう大丈夫でしょう)

整理8:私の求めてる3か条

数か月経ってみて、デートでもしてみようかと思い、マッチングアプリをいれてみた。やり目多いし、特に真剣に恋人を探すわけではなかったが、自分を市場に出してみることにした。そしたら結構いいね!もらえるので勝手に優越感に浸っている(笑)そしてこれも女としての回復に必要なセラピーだと思ってる(笑)

こんな色んな事があった中で恋人やパートナーに求める3か条に気が付いた。A lover, bestfriend and a partner. 恋人であり親友でありパートナーであること。この3か条がそろっていないと難しい。

元カレFとの別れがつらかったのはそのせいだろう。彼とはとても相性が良く言葉尻を補足しあえたり、家事や生活でのバランス、友達や家族や世の中で起きていることに対する考え方が似ていた。だから、親友のように毎日連絡を取り合い、何をするにも一緒で、生活上もバランスがとれていた。そう考えると、bestfriendとpartnerとしては相性はよかったのだろう。

でもお互いに恋人として、男性女性として高めあったり魅力的に感じあったりすることができなかったことにより、私たちの関係は終わってしまった。この三か条は、切っても切り離せないことを学んだ。


整理9:愛してる。でもさようなら。

今の私の悩みはもっぱら、今後の彼との付き合い方である。

私はまだ彼のことを愛している。なぜなら私のbestfriendであり、partnerだったから。男としてもうみれないが、人としてはとても素敵で何よりも彼の幸せを願っている。悲しいことにそこには私はいないが。彼の家族ともとても仲が良かったし、彼を通じて出会ったたくさんのお友達みんな大好き。だからすごく悲しい。

だけどそんな私にもプライドがあって。
別れても彼の人生に友人として存在することが許せないのである。これだけ傷つけて女としてみてくれなかったくせに、都合よく友人として付き合いながらほかの女とセックスして付き合ったりするのかと思うと反吐が出そうになる。

でも共通の友達が多すぎて、周りのみんなに気遣いもさせたくない。大人として穏便に、これからもみんなと対等に接したいし腫れもの扱いされたくはない。難しい。


最後に

だらだらと時系列で私の個人的な話を書いてしまった。だからエッセイなんか書けやしないって言ったんだよ(笑)

でも最後にメッセージがあるとしたら最近Kim Kardashianの(笑)珍しい名言を引用すると

You can love a person, miss a person so much, but still have the wisdom to
know that he is not your person, better off not together. The opposite connection can exist together.

「誰かを愛して恋しいと感じつつも、その人とはうまくいかないという知恵が同時に存在することは可能である。」

もし恋愛で悩んでいる人がいたらぜひこの言葉を思いだしてほしい。そしてここの境地までぜひたどり着いてほしい。ここの心の整理をしているのがいまの私です。


ちなみに私は元気です。鬱は治ってないしごはんは食べたり食べなかったり暴飲暴食したり絶食したりまちまちだし、眠れたり眠れなかったり悪夢にうなされたり、めっちゃ元気に遊んでるときもあればまったく動けず一日中寝て過ごしている日もあります。

でもそうやって人間は振り子のように振り続けて、いつかそのふり幅がどんどん減って、真ん中で静止する日が来るんですよ、ってどっかの鎌倉に住んでるおじさん先生が言ってたのを思いだした(笑)

私はまだまだ気が振れてますが、また元気になる日がくるから大丈夫!


こんな私ですがこれからも仲良くしてください。
最後まで読んでくれた人はありがとう。みんな愛してるよ~


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