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オタクとイラストレーター

わたしは筋金入りのオタクである。それが普通すぎて自分がオタクというのを忘れる。そもそもカテゴライズしなくてもいいのではないか。アニメと漫画が普通の人よりちょっと(どころではないが)好きというだけで。とは言いつつ他の人と喋ると「これだからにわかは」と少し思ってしまう自分もいるのだからオタクとはややこしい。そしてやはりイラストレーターにはオタクが多いように感じる。絵が好きと言う気持ちが根本にあるからではないか。そしていつも疑問に思うことがあった。

自分のオリジナルイラストと二次創作物を分ける境界線がどこか、ということだ。

人によっては全然おかまないなしに分けない人もいれば、アプリのアカウントを複数使い分けている人もいる。私は同時に腐女子でもあるので、特にややこしい。カテゴライズすべきものがさらに増える。(そして恐ろしいことに腐女子世界には独自のカテゴライズ方法があるのだ)

私は平成生まれのイラストレーターである。普段は当たり障りのない人物と背景を合わせたものや、生活用品のカットイラスト、最近あった依頼では和柄をベースにしたレストランのメニューをデザインした。そういう仕事をしている。時代にあったサンセリフを使った余白の多いウェブサイトを持っているし、インスタグラムの投稿はハッシュタグを使いすぎないようにしている。流行りのアプリがあれば登録し、様子をみるなど現代に自然と溶け込むような生活している。が、ほんとのことをいうと面倒くさい。やることが多すぎる。十年前は自分がhtmlで制作したホームページだけで良かったのに。

自分を発信し続けないと輝けないこのご時世で、無名で新人である私はツイッターもタンブラーもビハンスもピントレストもインスタグラムもリンクデンもその都度更新しなければならない。アプリによって画像のサイズを変えて、ロードするのを待って、キャプションを考えて…の繰り返しだ。疲れる。化粧の手順と似ている。洗顔をして化粧水を浸して、乳液を塗り、日焼け止めを伸ばして、延々と続く。いっそ誰かこのアプリたちを総合して一つのものにしてくれないだろうか、としょっちゅう思う。化粧についても同じだ。化粧水と乳液と美容液とUVカットの日焼け止めを全部合わせたものを作ってくれないか。そもそもSNSをすること自体が億劫な私にとっては自分の性格上、合ってない。

と、今までは思っていた。ある日ふと毎回面倒くさそうにすると精神的に悪いし、そうだアプリを使い分けようと思い立った。するとなんとなく本来の楽しさがわかってきた。インスタグラムは落書きから完成したイラスト関連のものをなんでも載せる。プライベートライフにしてはストーリーのみ。ツイッターはつぶやきやアイデア出し。タンブラーは元々大学生時代に自分の授業メモとして使っていたので、今ではイラストのラフ画を載せたり思考回路を書いたりと学生向けに。ビハンスはウェブサイトと一緒で営業向けなので自分が仕事を貰いたいものを。なるほど。合理的である。今までいかに自分が本来の使い方をしていなかったかわかった。あまりネット上での交流を好まない自分だったが色んなところにコメントしたりやりとりしていると、どんどん新たな縁が生まれていった。自分が人と触れ合うことで成長していくのがわかった。これが醍醐味というやつか。なるほど。

しかし私にはひとつ心懸かりがあった。
ピクシブだ。

ピクシブはどちらかというと創作物より二次創作物の方がメインのコミュニティだった。だが今では創作物も同じぐらい盛んになってきており、ピクシブジーンやピクシブ発のコミック、そしてアニメ化などひと昔じゃ考えられないほど急成長し変化を遂げている。中高生の時にはよく二次創作物を投稿した時期もあった。でも自分はお洒落なイラストレーターになりたかったので、辞めた。お洒落なイラストレーターとオタクは相いれない。オタクくさい絵をアップしていたら仕事は来ない。閲覧側に回った。高校生のときに受けたアイルランド人でレズビアンだった美術の先生に口酸っぱく言われ続けた「あなたが描いているのはアニメ。これはあなたの絵ではない。」と呪いの言葉が頭をよぎる。私はイラストレーターになるのだから二次創作物を描いている場合じゃないんだ。大学時代はオタクということは誰にも隠してはいなかったが、イラストに関してはオリジナルを描き続けた。

大学を卒業して数年。蓋を開けてみるとイラストレーターでも二次創作物を描いている人はいっぱいいた。むしろ独自のテイストが合わさって二次創作物ではあるものの、違う世界観が生まれていてかっこいいものばかりだった。しかし私は閲覧側になりきっていたので自分が描くことは滅多にないだろうと遠くから眺めていた。

しかし先週、友人のほんのしたリクエストで久しぶりに二次創作物を描いた。そして驚愕した。な、なんだこの楽しさは。手が止まらないぞ!とまさにオタクなモーメントであった。

そうだ。
そうだった。
そうだよ。

楽しいんだ。だからみんな描くんだ。

もーいいや、諦めよう。だってこれからも自分は一生オタクだし、腐女子だし。好きなものを死ぬまで描いていくと心に決めた。自分がオタクな絵を描いているからって依頼を躊躇するような人とは仕事しなければいいだけの話だ。「君のオタクな絵も良いね!」という人と仕事をすればいい。そうだそうだ。と自分で納得した。数年ぶりにピクシブに絵をたくさん投稿した。

そもそもよく考えてみれば私がオタクだからといって下に見てきた人は最初からいなかったのだ。自分で勝手に自分に対してのフィルターをしていただけだった。私が勝手に下を向いていただけなのだ。アメリカでは「オタク」というとクール!オススメのアニメ教えてよ!と好意的な返事が返ってくるし、今の日本ではオタクに対して昔あったほどの偏見もない。

もう気にしないことにした。オタクな絵も自分のイラストも、どちらもかっこよく描けばいい。分ける必要はない。かっこよければ内容なんて関係ない。ただのかっこいい絵なのだ。そうして私は今日もかっこいい絵を目指してペンタブを握る。

とまた長文になってしまった。でもどんどん頭の中が少しずつ整理されていく感覚が確かにある。いい傾向だ。noteを続けてみよう。記事が溜まったら「脳の整理中」や「今まで思っていたこと」とカテゴリ分けするのもいいかもしれない。

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