自己評価も他者評価もいらない

わたしがどんな評価をヒトからされようと
わたしが自分にどんな評価をくだそうと

わたしはまるでダメだと評価されても
過剰な褒め言葉も
それはホントのわたしじゃないから

わたしにはいろんな値札が
勝手にたくさんぶら下げられるんだけどさ

私、あなたにそれをいつも報告するんだ

『あなたの〝たの〟は、今度こんな値札つけられやした、。。ʕ•ᴥ•ʔ』

そうすると、あなたは時に優しく笑って、そっと外してくれる。何にも言わずに。

『そんな値札は必要ないよ』

『わたしの〝たの〟につけた値段をつけたその人の評価も、わたしはしてるよ』って言ってるのかな。

わたしには
『あなたはわたしのものだから、あなたへの評価はわたしのものだ』
って言ってる気がしたんだ。

気にしなくていいんだって。

神様からの評価なら気にしたいけれど
人からの評価など気にして生きる必要ない!!

☘️

わたしは、良い子でいようと頑張る性質があった。

でもヒトの評価なんて、いい加減なんだって、
わかってたつもりだったけど
わかっちゃいなかったんだよね

評価者にイラだったり

それに向けて頑張ってるうちは、理解してなかったんだ、って。

人からの評価に一喜一憂してるうちは、わかってなかったんだって。

👩‍🏫

生きてる価値ってなんですか
自分の価値って何ですか
他人の価値ってなんですか

そんな問いかけをされた

まっすぐな問いだったから、逃げずに答えた。

『仕事とか、できることとか、人と比べて優れてるところとか、そういうの考えて、
自分の生きてる意味がわからなくなってた時があった。

でもいまは、わたしはね、

わたしが自分で自分を評価するのもおこがましい、
他人の価値を、わたしが評価するのも、おかしいや、って思ってるよ。

だってね、おばあちゃん、何が出来なくなっても生きてるってだけでわたしには価値があった。

目が見えない人も
耳が聞こえない人も
人より難しいこと考えられない人も
わたしはこの仕事だから関わってきてて

だからわかるけど
その人が何ができてできないから価値があるとかないとかわたしは、絶対に、思わないんだ

その人はその人として生まれてきたことに価値があるんだよ。

弱さもその人の価値で

強さもその人の価値で

でも強さがあるならば、それはきっと弱さのある人のためなんだって、わたしは思ってるんだけど

だからさ、わたしの世界は

進化論じゃなくて
創造論なんだよね。

そう。それでね、

価値は神様だけが、わたしがこの地上から去った時、つまりわたしが死んだとき、天に行って
神様からいただくものだと、わたしは思ってるんだよ』

わたしがわたしを愛せなくても、
わたしを尊く思ってくれてる方

それはわたしを創った方
創造主

いまや、わたしに下される評価はあなたが担ってくれてると知っている

だからさ、わたし親とか先生とか上司から友人からも納得のいく評価されてなくても、

わたしは神のもの だもの

神の所有されてる者だもの。

怒る権利も、喜ぶ権利も、神様のものだよ!

あなたの御腕のなかで、今日もやすむのだ。

主の腕は広く、休むのによく、
すべてを包んでくれるのだから。


愛するすべてが、あなたが幸せでありませように!!.*+

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