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死は誰にでもやってくる変化の扉

※以前書いていたブログから、残したい記事を順次移動しています。

2007. 04. 29

父が亡くなったのは、私が高校二年の冬だった。
父と過ごした時間よりも、父がいなくなってからの時間の方がはるかに長くなってしまった。
それでも、父の亡骸が家に戻ってきた時のことは、今でもはっきりと覚えている。
眠っているような穏やかな顔で横たわる老いた男は、形こそ父そっくりではあったが、もう私が知っている父ではなかった。

何かが足りない。

体のぬくもりとか、聞こえない息づかいとかだけではなく、もっと決定的に父を父として成す一部分が欠けているという感覚。
ああ、これこそ人が死ぬということなんだと、私は父の冷たい足先をさすりながら思い知った。

父は宗教的教義からではなく、哲学的見地から、『人間は肉体と魂と知恵でできている』と、よく言っていた。
常日頃、父がそう話してくれていてよかったと思う。
父の体がなくなっても、どこかで魂は元気にしているのだともしも思えなかったら、父の体が焼かれることなど耐えられなかったに違いない。
国や宗教によっては死者への冒涜とさえ言われる火葬が、日本ではこれほどまでに広く認知されている。
それは、死んだら魂は天国に行って幸せに暮らすのだという世界観が、私たち日本人の心の奥に、深く根づいているからかもしれない。

確かに、魂や天国があるのかは証明できない。
でも科学的に証明された『事実』だけが、人を幸せにする『真実』というわけではないだろう。
大きくなる過程でサンタクロースは本当にはいないんだと知っても、プレゼントが届くのを心待ちにした思い出は消えることがない。
それと同じで、父の魂は天国で私たちを見守ってくれていると私は信じたい。
たとえそれがファンタジーだとしても、父がときおりは風になり、花になり逢いに来てくれるのだと。

実際父のことを思い出すと、私は自分の右上のあたりに父の存在を感じる。
それは私が捏造したものかもしれないけれど、父の笑顔をエネルギー化したようなあたたかい何かが、降りそそいでくるような気がして仕方ない。
不思議なものだ。
父が生きていたときはケンカばかりしていたし、反抗期真っ盛りだった私は、ほとんど口もきかなかった。
それが、形ある父を失ってからの方が、私は一方的に父に話しかけているし、夢に出てくる父はいつも穏やかに微笑んで、黙ってあたたかい手で私を励ましてくれたりするのだ。

 愛する人を亡くすということは、もういままでのような関わりができなくなるということだ。
一緒にご飯を食べたり、テレビを見たり、笑ったり、ケンカしたり、そういう平凡な繰り返しが、ある日突然リピートできなくなる。
それはとても辛く悲しい体験だ。
決して幸せとは言い難い感情だろう。
けれど、愛する人との関わりは死んだら終わりというわけではなさそうだ。
そのことを、私は父の死によって人より先に知ることができた。
だから愛する人といつか別れなければならないことを、私はあまり不安に思ってはいない。
別れは私だけに訪れる不幸ではなくて、誰にでもやってくる変化の扉なのだ。

その前に立つ日がまたやってきたら、怖れずに扉を開けよう。
泣きながら開けるその扉は、結局は幸せにつなげることができると私は知っているから。

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一時期、遠くに行っていた父が、ようやくこの時を待って、かえってきました。
父がかえってきたのか、私が還ってきたのか?
という感じですが、とても静かに穏やかに愛に浸っています。

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