「死ぬまで生きろよ!」
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2007.01.07
「死ぬまで生きろよ!」というのは、
死んだ父の口癖だった。
酔っぱらって上機嫌の父が、
仲間と別れるときによく口にしていた。
子供だった私は
「死ぬまで生きるのは当たり前じゃない」と、
冷めた目で見ていたのだが、今になると、
もっと深い意味があったんだろうなと思う。
戦時中に満州に渡り、
現地で召集されたのち終戦を迎え、
シベリアに抑留されていた父にとって、
死は身近な存在だったはずだ。
特に捕虜として抑留されていた三年あまりの日々は、
帰郷のあてもなく、
同胞達が次々と死んでいく絶望的な状況が、
どんなに父の死生観を深いものにしたか、
平和な時代に育った私には想像すらできない。
私なんて、鬱になったときに平気で
『死ぬまで生きる』ことを投げ出してしまおう
としたこともあったわけで、
あのとき父が生きていたら、
きっと拳のひとつやふたつ、
飛んできたに違いない。
それでもね、
経験していないことは
ある程度の想像しかできないわけで、
私には父の戦争体験に本当の意味で
共感を持つことはできないし、
豊かな生活をしていながら
死にたくなった私の気持ちを、
父に共感してもらうことも多分無理なんだろう。
ところで、先日、仕事がらみで
てっちりを食べに連れて行ってもらった。
フグを専門店で食べるのは生まれて初めてなので、
同席の人からいろいろとうんちくなど聞きながら、
初心者女子の私はひたすらに灰汁をすくう。
無の境地くらいに一心不乱に灰汁をすくっていたら、
なんだか父の気配をチラチラと感じるのだ。
父が死んでからも、
私は彼の気配を身近に感じてきたのだが、
去年の2月くらいにそれがはるか彼方に
遠ざかってしまっていた。
没後20数年経って、
ようやく成仏してくれたか・・・と、
安心しつつも少し淋しく思っていたのだけれど、
フグに釣られて出てきたらしい。
フグ好きだったのかな?
貧乏だったし、海なし県の群馬だったから、
家族でフグを食べたことなんて一度もないし、
父が「フグはうまいぞ」
なんて言ったことを聞いた記憶もないのだが、
なんだかやたらと嬉しそうな
父の気配が伝わってきて、
灰汁をすくいながら思わず口元が笑ってしまう。
となりのテーブルでは10数人のサラリーマン達が
新年会で盛り上がっており、酒に酔った何人かが、
大きな声でしゃべり続けている。
そしてそのうちの一人が、
「死ぬまで生きろよ!」
と、言ったのだ。
やだなぁ、涙出ちゃうじゃないか!
フグ食べながら、泣くなんてかっこ悪いから、
泣くの我慢しなきゃいけないじゃん。
お父さん、私はもう生きることを諦めたりしないよ。
ようやく自分で
『死ぬまで生きる』ことの大切さがわかったからね。
とりあえずは、ありがたく目の前のフグを食す。
うまいもん食べられるのも、生きてるうちだものね。
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写真は今日の夕方、
大きな龍が舞っているような空の雲。
人はある日、突然に死んでしまうんだ
と、いうことを思い知らされた日だから、
改めて、今に心を尽くして生きることを
静かに実践しようと思います。
合掌
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