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ユーモアは だれのもの?

2023年のいま
「強制収容所」と聞けば 
いったい これから 何の話が始まるのだろうと
誰もが 身構えると思う

ウクライナを始め、世界各国で争いが続くなか、
軽々しく 口にすべき単語でも表現でもない


ただ わたしの脳裏に真っ先によぎるのは、

とある学習塾の講師控室で、
ある特定の教室に派遣されることを
「」送りだ と 強い表現をすることで

どうしようもない経営陣を揶揄し、
日頃の憂さ晴らしをしながら
ユーモア溢れる授業をしていた という 過ぎた日の思い出だけだ


なぜ そんな 強烈な単語、表現が 
講師や専任のあいだで
共有されていたのか

それは
各クラスごと、後方に監視カメラが設置され
子どもたち同士の 喧嘩の火種を 察知し
教室環境を守る、

または

教室スタッフが 子どもたちの学習の様子を知り
今後の学習指導や 保護者対応に生かす
という大義名分のもと


個々の講師の授業をライブ収録(録画)し、
その授業内容や発言に至るまで 
こと事細かく リアルタイムで チェック(監視)できるように
本社に繋いでいたからである


ちなみに
繁忙期の授業は最大9コマ連続で実施
シフトの希望が出せる、コマ数を選べる ことにはなっていたが
こちらは建前

シフトを埋めるため 最大限の協力ができなければ
時給を上げる事自体、ほとんどできないように
人事で操作されていたのは 講師のなかでは常識だった

来季以降の 時給は
9コマをいかに そつなく クレームなく 
こなしきれるかで ベースが決まる
つまり人事評価項目の 大きなポイントだったのだ



「出ていくのは自由だが」ということでも あったのだろう



言葉遊びや ユーモアは

やりきれない現実を
どうにか、まわりに八つ当たりすることなく
笑顔で 楽しく
その日1日を乗り切るために必要な
常備薬なのだ



当時、まだ講師2,3年目だったわたしは

「こんなに沢山の先生方がいて、
 毎日9コマも授業をし続けるのに
 逐一、監視し続けるのだって 疲れるはず 
 
 まあ、わたしの授業でよければ、いくらでもみてくれればいいけど
 経営陣だって、さすがに そこまで お暇ではないのでは?

 大事な時間を使って わざわざ みてもらえるなんて 光栄かも 」

 などと 実に 
 お気楽に構えていた

実際はどうだったのかな

追記 2023.8.13
本稿の内容は2000〜2010年当時の学習塾の現状をそのまま素直に綴ったものです。
2023年時点における、学習塾クラス内の監視カメラ設置についての議論とは
明確に分けてお考えいただけますよう、よろしくお願いします。

また昨今の塾講師の信頼失墜行為を考えれば
経営者による監視カメラ設置は当然の義務だと考えます。

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