美味しい温度
「おんど(温度) 」とは
人と人、事物とを繋げる認識的、意識的な存在として「温度」は存在する。
温度とは物質を構成する一要素であり、認識可能なものとして絶対的な存在である。
そして人間は特別なことに、認識に加え意識でも温度を感じ取ることができる。
(認識的温度感・・・温度、体温、気温、水温)
(意識的温度感・・・愛情、哀情、友情、無常)
「おいしい(美味しい) 」とは
一つ目は単に味を指すこと、二つ目は郷愁的な味に思い馳せることだろう。
私は後者の「おいしい」表現に美しさを感じた。
この「おいしい」には認識的温度感と意識的温度感が両方宿っており、それは食材がもつ認識的な温度と、愛情などの意識的な温度だ。
この認識と意識両方が込められた存在が郷愁的料理であり、それは認識と意識によって成り立つ人間に限りなく近いと考える。
今日も少女は空っぽの家に帰る。
そこにある光景は物心ついた頃からいつも同じ、みすぼらしい食事が置いてあるだけ。
中学生にあがった頃からは硬貨が乱雑に置いてある日も増えた。
少女は夢を見る。
幼い頃に友人の家で食事をご馳走になったことを思い出して、今に照らし合わせたりする。
幸せな夢も目が覚めてしまえば悪夢でしかない。
夢から覚めた少女は何も感じない、感じたくない、感じることができない。
「おんど」が欠落した少女は、今日も目を閉じ「おいしい」をぼんやりと想像する。
2024.6.27
"おいしいおんどの構想"より
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