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楽しい不動産英単語 第9回 歴史的流れも考察 ー Enjoy English Expressions for Properties Vol.9- A Study of Historical Movement

<文章からバーチャルな不動産を想像して楽しもう!>
<Fun Reading for Imagining the Virtual Property!>

ここでは、まず、チラシ広告の表現を読んで、どんな家があるのか、想像を膨らませてみましょう。また、このシリーズの後半では、不動産契約のための英単語を見ていきたいと思います。


今回の、楽しい不動産英単語 は良い物件を買うために、

歴史的理解を深める

エッセイです。

前回、第8回では、豪華物件について話したので、「アメリカでは自分たちの資産の価値が下がらないように、コミュニティ全体で頑張ってるから羨ましい」的なことを言ったかもしれません。
これは正しいようで、ある意味間違ってもいます。(参照:https://note.com/lindsay_journal/n/n42eff60edc0a )
当然、どこの国のマーケットにもアップダウンはあります。

ありますが、
日本のように、
30年前にニュータウンに夢のマイホームを5000万円で買って、
ローンを払い終わった頃には、
子供たちは90分もかかる通勤時間を嫌って都心で独立し、
隣近所も自分と同じように歳をとって空き家が点在する
老人の街になってしまった、
というような現象はあまりないと思います。

素人考えですが、

その理由の一つは、

やはり移民の国なので、後から来る移民が、マーケットの需要を押し上げてくれるから。

もう一つは、もともと100年は持つ設定で家を建て、街を設計しているから。古くなったから安くなるという発想がないのだと思います。

建築の時点でもしっかり作るかもしれませんが、
同時に、住む人が常に家をメインテナンスして、
定期的に壁を塗り、屋根を葺き替え、
必要とあれば古くなったパイプを入れ替える、
ということをしている。
そして、庭木が育ってマチュアー mature なガーデンになり、
ご近所と共に街並みが素敵な雰囲気を醸し出す。

日本では、腕の良い大工さんが直してくれていた頃は良かったけど、
今ではそういう人たちも減ってしまって。
DIYするにも限界があるし、
果たして正しく補正したのかもわからない。
どこかに、腕が良くて良心的な工務店さんがいないかなあ、
と探している人は多いのではないでしょうか。

アメリカの、
西海岸のことはよく知らないのですが、

東海岸の場合、


大まかに言って、入ってくる移民のグループに順番がありました。
まず、イギリスとフランスが来て、
争った結果(フレンチ·インディアン戦争·1754~1753年。フランス側は征服戦争と呼ぶそうです)
アメリカはイギリスのものになりました。
この戦争の前は、東海岸部は主にイギリス領、南部と中西部からカナダにかけてがフランス領、メキシコやフロリダあたりがスペイン領だったようです。

次に独立戦争(1775~1783)を経て、
アメリカはイギリスから独立。
この時イギリスと戦ったのが東部13州なので、
星条旗 The Stars and Stripes の赤い横縞は13本。
一方、星の数は現在の州の数を示すので、今は50個。
州が増えると星の数が増えます。
もちろん、この間もヨーロッパからの移民は止まりません。
特に、宗教上プロテスタントの革命が起こっていたドイツから
たくさん入っていましたし、
その頃イギリスを凌ぐ海洋国だったオランダも、
大きな影響力を持っていました。

次の大きな波がアイルランド。
主に19世紀です。
アイルランドは飢饉に見舞われて、ポテト以外食べるものがないという、
貧しい生活を送っていた人が多かったようです。
しかし、アメリカのエスタブリッシュメント establishment と呼ばれるファミリーにはアイルランド系が多いです。
establishment は設立という意味ですが、
東部エスタブリッシュメント」と言った場合の意味は、
You refer to the people who have power and influence in the running of a country, society, or organization as the establishment or the Establishment.(参照:https://www.collinsdictionary.com/jp/dictionary/english/establishment)
つまり
国や社会、組織の運営において権力と影響力を持つ人々」を指しています。
有名なところでは、ケネディ家ですね。
フォード自動車のヘンリー·フォードもそうです。
そういえば、バイデン大統領も、
内政に行き詰まって、親戚のいるアイルランドで
歓迎を受けて長期滞在をして嬉しそうにしていましたよね。

アイルランドに遅れて入ってきたのがスコットランドです。
少し遅れてイタリア。
もちろん、ここで国別の順番を言っているのは、大きな波を読むと、ということですので、
おおまかにこんな感じだな、と捉えてもらえると嬉しいです。
その次がギリシャ。 

で、このあたりまでは、
ヨーロッパから船で来てました。
移民が最初に到着するのは、
マンハッタンとニュージャージーに挟まれて、
ハドソン湾に浮かぶエリス島 Ellis Island です。
1892年に入国審査所として開設され、1954年にその機能は閉じましたが、
今はミュージアムになっているので、
ご覧になった方は多いと思います。
私は行きたいと思いながら行っていません。
(参照:https://www.history.com/topics/immigration/ellis-island

他に、エリス島が機能している頃にたくさん入ってきたのは、
ユダヤ系の人や、ポーランドやチェコなど東ヨーロッパと言われる人たち、
そして中近東の人たちも、
政治的理由や経済的理由から
アメリカンドリームを追って入ってきていました。。

今は陸地を歩いて入ろうとするメキシコ人や中南米人を除けば、
まず飛行機で飛んできますよね。
そしてある程度滞在してから、
移民になるかどうか決めるのではないでしょうか。

で、移民がエリス島に入っていた頃は、


身体検査などされて、移民と認可されれば、
外に出て仕事と家探しです。
マンハッタンの高額な地域には住めませんが、
都市部に仕事を見つけ、その周辺に住むのが第一歩でした。
ニューヨーク州のロングアイランドとか、ニュージャージー州に住んで、
マンハッタンに通うなどが、一般的だったと思われます。
移民たちは出身が同じグループで集まるので、
今でも、あの辺はギリシャ系が多い街 Greek town とか、
スペイン系の街 Hispanic town とか、
日本人から見ると、同じ白人に見えますが、
彼らの頭の中ではちゃんと区別する情報が入っているようです。
そして、そういうことが、
不動産を買うときの決め手にもなるみたいです。

私の夫が育った街は、


彼が育った頃にはイタリア移民が中心の街になっていたようです。
そのちょっと前に押し寄せたスコットランド系の人たちは、
金銭的にも安定して
アメリカのもっと奥地へ
散らばって行った後のようでした。
ドイツ系とスコットランド系を祖先にもつ夫の一家は、
白っぽくて目立ったようです。
と言ってもいじめられるのではなく、
むしろ、
ご近所の美味しいイタリア料理を食べさせてもらって、
羨ましいなと感じながら育ったみたいです。
夫の叔父は、イタリア系美女と結婚したのですが、
その時、母親、つまり夫の祖母は、
「南方の色の黒い人と結婚してはいけない」と言って、
反対したそうです。
この場合の黒いは、darker というもので、
自分たちより色素が濃い、程度ですけれど。
でもこの感覚、
ヨーロッパをよく知っている人なら理解するかもしれませんが、
日本人にはわかりませんよね。
北方と南方の違い。
どちらも同じ白人だと思ってたんですけど。
でも、イタリアですら南方の黒い人たちです。
その20年後に孫が日本人と結婚したわけですから。
おばあさんの気持ちや、これ、いかに…。
と言っても、もう年取って反対する気力がなかったのか、
時代の波に乗ってちゃんと切り替えることができる人だったのか、
とても親切に迎え入れてくれました。

おばあさんが反対しなくなっていた理由の一つに、
その街のほとんどが、
すでに新たに移民してきたアジア人に変わっていたからです。
特に多かったのは、ベトナム人。
「みんな親切で良い人だけれど、一つだけ怖いのは、3ベッドルーム·2バスルームの家なのに、何人住んでるかわからないこと。もしかしたら2家族住んでるかもしれない」、
ということでした。
アメリカの家は大きな地下室スペースがありますので、
「上に住んでる家族と下に住んでる家族が違う気がする」
というのです。
一方で、近所には、
おばあさんが見たこともなかった
インド料理屋や、タイ料理屋が出現して、
おそるおそる、食べに行ったりしてました。
美味しいって言ってましたよ。辛すぎなければ。

隣人のベトナム人は働き者で、
10年後にはきちんと家を治して、高級車も持ってたし、
子供達は良い大学に行って独立していました。
もともといたイタリア系家族やスコットランド系家族は、
後から来た人たちに家を売り、そのお金で自分たちが理想とする、
もっと奥地の山沿いの広い家や海沿いの豪華な家に移っていました。
そうやって一コマづつ、
アメリカの生活を得ていくのでしょう。

ところで、前回の記事で、


売買ゲームをするために家を買っている人の話をしましたが、
ユダヤ系の人たちが住む高級住宅地を、
中国系の人たちが好んで買い占めていました。
以前は Jewish townだったのに、今は中国系ご家族と半々ぐらい。
でもChina town というと、語弊がありますね。
チャイナタウンは伝統的に、
古くから形成された町ですから、
こういう場合はなんというのかしら。
ユダヤ系が多い高級住宅地は、
日本の駐在員さんもけっこう住まわれた地域だと思います。
なぜか、ユダヤ人の家の趣味は、
日本人から見て合理的で使いやすいことが多く、人気なのです。
例えば駅から近い、とかね。
少なくとも以前はそうでした。
中国の人から見ても、合理的で豪華で魅力的だったのかもしれません。

ともかく、売買ゲーム中の友人の家に招かれた時は驚きました。
5000スクエアフィート(450平米)以上ある家に、家族4人。
値段が上がったら売ろうと思っているから、家具は買わない。
家の一部を使って暮らし、内装にもお金をかけない、
そして汚さないですぐ売れる状態にしておく。
うーむ。
同じように大きいお家を買った白人のお友達が、
各部屋の壁紙から家具から、敷物からタオルまで、
デザイナーを使ってあつらえているのとは対照的でした。
ちなみに、この白人のお友達の家には、
ゲームルームというラウンジもありましたが、
別棟で hunting gun room 猟銃部屋がありました。
何丁もの猟銃やライフルが、
鍵のかかったガラス棚に美しく並べられたコテージが、
広大なお庭の中に建っているのです。
まあ、それはそれで素晴らしいんだけど、
武器を持って生活するってどんな感じかなあ。
それも、一丁や二丁じゃなくて。
うーん。
まあ、みなさんお金持ちで羨ましい限りです。
当然、どちらのお家も、お庭にプールがありました。
そして、バスルームだけでも9個から10個ありました。
私なんかは、まず、
いったい誰が掃除するんだろう、
なんて考えちゃいますけど、
通いや住み込みのお手伝いさんがいるわけで、余計な心配です。
そういえば、先日、
トランプ大統領が、
自宅のバスルームにホワイトハウスからの機密文書 classified documents
段ボール箱に入れて持ってきたまま放置してある、
という写真が話題になりましたが、(日本では話題にならなかったのかな?)
トランプ大統領の豪邸なら、
バスルームは20ヶ所以上あるでしょうから、
一つぐらい書類置き場にしてほっぽっておいても、
全く問題ないでしょうね。
うちなんか、バスルームに一体いくつダンボールが入るか。
頑張っても五つかなあ。

話はずれましたが、
振り返って、日本では、
移民政策がないのは理解するとしても、
外国人が簡単に土地を買えるようになっているのがちょっと心配。
日本を愛して、日本を盛り上げようとしてくれる人だけが
買い手とは限りませんよね。
そういうチェックもないんですよね。
例えば中国は、土地は全て国有ですから、
日本人が中国に買っている不動産は
全て土地がリース lease つまり借地です。
そういうところ、しっかりしているアジアの国は多いです。
外国人は所有 own はできない仕組みがとられている。
日本も何か、国土を守る法律を入れておかないと、
こんなに安かったら、いずれ外国人に買い荒らされちゃうかも…
という心配がよぎるのは、私だけ?
投資立国にする前に、
考えておかなきゃならないことがあるんじゃないんですか、って思う。

不動産と直接関係のない話を、たくさんしてしまいました。
でも、歴史的なバックグラウンドの知識は、
万一買うことになった時に、役立つかもしれません。

次回は、投資に必要な英単語について、ちゃんとお勉強したいと思います。


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