柔らかな朝#4

日の光が庭の花に充分に射し込む頃、たっぷり時間をかけた私たちの食事が終わった。
私は食器を下げ、石鹸で洗う。彼はその間に洗いたての白いシャツに着替え、昨日街で買ってきたという楽譜を手にピアノへ向かう。

家には、祖母が弾いていた古いピアノが一台あった。私も小さな頃祖母に習ってピアノを弾いていたものの、いつしか開くことがなくなってしまった。そんな埃を被った手入れもされていない古いピアノを彼が見つけ、自分で調律をするから弾かせてくれるかと聞いた。
彼の指は優しく労るような動きで鍵盤をひとつひとつ慎重に押さえ、それぞれの鍵盤が担当すべき音階を狂いのないように調律していった。それがまるで神聖な儀式のようだったので、私は彼の調律する姿を最後まで見届けた。
調律は半日かけて行われ、耳障りのする音しか出せなくなっていたピアノがかつての柔らかで美しい音を取り戻した。

彼はまず、小川の流れる風景が浮かぶような、ゆったりとした曲を弾いた。彼の指は鍵盤の上で安心して身を委ねているように動くように感じられたのは、その曲が彼の故郷に伝わる牧歌だったからなのかもしれない。

洗い物が終わり、テーブルの上の花瓶の水を替えている時に、彼の演奏が始まった。新しく買った楽譜を広げ、1音ずつ探るように曲を進めていく。力強く、使命感を帯びているような旋律だった。ある程度の小説が終わると、また最初から同じ内容の旋律が何度も繰り返された。
「防衛軍の行進曲なんだ。今度の式典の際に演奏しなければならなくなった」
彼は延々と続きそうな演奏を途中で止め、楽譜から目を離さずぽつりと口にした。
「あなたが?」
「ああ。式典は来月の最終週。急すぎるし、無茶な命令だ。…俺は入軍したばかりだというのに。
防衛軍の行進が終わるまで、これを弾き続けなければならない」
「それは大変。どのくらいの時間かかるの?」
「さあ、通してみないことには分からないけど、結構な人数だから…2時間はかかるだろうな」
「とても疲れるでしょうね…」
私は思わず疲れ果ててぐったりと弱ってしまった彼の指を想像した。
「今まで、そんなに長い時間ピアノを弾き続けたことはあるの?」
「いや。俺がこれまで人前でピアノを弾いたのは、せいぜい貴族が私的に開くコンサートや小さなオーケストラに雇われて参加したくらいだな…こんな大役は初めてだ」
「できるだけのことは協力するわ。と言っても、あなたの身の回りの世話しかできそうにないけれど…」
私は彼の指をどうにか癒す方法を考えようとした。
「ありがとう。それじゃ、もう少しの間居候を我慢してくれるかな」
「ええ、それはもちろん…」

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