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私の近未来の恐れは「あの人が罹ってしまったのは、自分のせいかもしれない」って考えてしまうことと、考えさせてしまうこと。

先日、soretonaからの業務連絡というかたちで、
「しばらくの間、現場取材・撮影の仕事は受けないし、人が集まる現場へ誰かをアテンドもしない。会議はオンラインで」というアナウンスをしました。

そして、このアナウンスが、誰かの心を恐縮させたり傷つけたりしてないか?ということを、ずっと考えています。
誰のことも責めるものではないってこと、きちんと伝えられているかなって。

少しでも軽やかに伝えたくて「未来を体験したいから」的なメッセージをつけ加えたのだけど、強調すべきはそれじゃなかったなと感じています。
もちろん本心だし、中長期的に目指すのはそれ以外のなにものでもない。

だけど現状、私の本音は
「あの人が罹ってしまったのは、自分のせいかもしれない」って考えてさせるのも、考えるのもイヤ」です。

少し話は変わりますが(ちゃんと後で戻ってきます)、
先日のLINEによるアンケート調査で、このような結果が出ていました(佐藤先生のtweetを勝手にリンクします)。

「石けんによる手洗い」「せきやくしゃみのエチケット(マスクやハンカチ)等」といった個人の決定で実行できる予防行動が上位(出来てること)にランキングされているのに対して、
下位(出来てないこと)となっている「かぜの症状が見られるときに無理せず休む」「時差通勤」「テレワーク」は、自分の力だけでは決定できないことである場合がほとんどだと思います。

この表を見たとき、すごく怖くなりました。個人で出来る対策はやっているけど、社会的なルールや忖度によって阻まれている予防があるということですよね?

・手洗いを丁寧にして、マスクを付ける
・不要不急の外出は控えて、3密は避ける。
そんなこと、もうみんなとっくに分かってるんですよ。

だけど・・・満員電車に乗りたくなくても賃金を得るためには乗らなきゃならない。仕事に行けば密室での会議があるかも知れないし、参加したくないとは言えなかったりする。
上司だって本当は「参加したくないよね・・・だったら参加しなくていいよ」って言いたいけど言えないのかも知れない。

また、感染者のほとんどが無症状で、発症したとしても多くの人が軽症で済むと言われている点に関しても、医療の世界での軽症と、私たちがイメージする軽症には大きな隔たりがあるもよう。

で、(話は戻ります)
私の職業は、いろんな企業を訪ねてお話しすることもお仕事だったりするので、日々いろんな方々と飛沫の交換をしているともいえます。自分が無症状でもウイルスを持ってるかもしれない。その状態の自分から感染した人が死に至るかもしれない。という恐れには簡単に辿り着きます。

考えを巡らせていくと、もしかしてもしかしたら、罹ることもつらいけど、周辺の人が罹ってしまうこともかなりつらいだろうな・・・というところに思い至りました。

さらに、自分が「○○ヘ行ってきてください」とオーダーしたライターさんやカメラマンさんが、その行き先で感染したら? 軽症という名の苦しみを味わったら? 亡くなってしまったら? を想像すると、ちょっと普通ではいられないなって。

こういう決断は早いほうがいいでしょう。
イメージするよりおおごとになりそうな気がするし。

どうかみなさま、ご無事で。
私はあまり身体が丈夫な方ではないので、しっかり寝て(ちょっとおかしいほど寝ています)、そこそこ食べて、しっかり考えて過ごします。

では、またね。ciao,ciao^^

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