何でも作るの片鱗が見え始める。
自己紹介年表10歳です。
15歳の時にワタシが生まれ、18歳まで一緒に暮らし、18歳から東京に行って子供服の営業をしていた叔父がいまして、
そりゃぁ、ワタシと妹のことが可愛かったので、東京のアパレルメーカーの子供服をお揃いで着せてもらってた幼少期。
叔父が25歳で大阪に戻って來る時に、引っ越し荷物を積んできた車を返しに東京に付いていって、東京タワーの足だけ車から見たことと、どっかでホットココアを飲んだことだけ覚えてる、はじめてのお江戸。
そんな服着てたら子どもながらに目が肥えるというのもあってか、母が連れてってくれるダイエーとかイズミヤには、着たい服がなく、かといって百貨店で買ってくれることもなく(ええ服は百貨店にあるというのも知らなかった!)もう、自分で作るしかない❗ってなって、氣に入った柄の生地でスカートとか作る小学4年生。
それまでにも、りかちゃん人形にティッシュで服作ったり、ガラスケースに入ってる日本人形の着物全部脱がしたり、大高輝美さんというフエルトのマスコットの匠の本を見て、片っ端から作ったり、母にかぎ針編みを教わったり、手仕事と「衣」への興味は人一倍な子どもでした。
5年生になると、家庭科でミシンを使う授業があった昭和の小學校。その頃ミシンはまだ足踏みが主流で、家にあるのも足踏み。
やったことある人はわかるかと思いますが、足踏みミシンというのは、右手で弾み車を回して勢いがついた所で踏板を踏むんです。それが何回やっても、どうしても、反対に回ってしまって、上手く流れに乘れないワタシ。反対に回ってしまうと、糸は切れるわ、縫えてないわで、また糸通しから…
て、泣きながら練習した。
どちらかというと、悔しさをバネにするタイプっていうか、
飲み込みが悪いけど諦めることはしたくないっていうか、
いわゆる「負けず嫌い」っていうやつやろうな。。
これからの時代、そういう氣質あんまりいらんやん!って自分でも思いますが、
でも、できないのも嫌やったんやろうね。
そんな、泣きながらやったことが、實は後々本業になったりすることを思うと、
負けず嫌いもアリやったよね~。
で、その5年生の家庭科の授業では、無事、みんながベストを作る課題なのに、ワタシだけワンピースにしたという、いちびった子どもでした。
人と違うことをしたい!という思いは、その後もずっと持ち続けていて、それがアートの原動力なんだろなぁと、大人になった今は思います。
そして、写真は、いつか欲しいと思っていたアンティークのシンガー。
今はまだ實用では使ってませんが、
オフグリッドライフの相棒として、乘りこなしてみたいと、比良のアンティークショップで見つけて購入してしまいました~。
今度は上手く踏めるかなぁ。
リンダの泣きながらやるエピソードは、まだまだあるので、引き續きお樂しみに。。
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