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ワン缶

4つ下の妹からお願い、と頼まれて夏休みの課題をひとつだけ代わりにやることになった8月の終わり。図書館の蔵書を1冊読んで、夏以降に掲示するPOPを作るっていう取り組みらしく。高2から国語の履修を諦めたわたしは、小中学生の頃はやみねかおるから有川浩、柚木麻子までメジャーな作品は一通り読んでいて、なんなら外で持ち運ぶために文庫サイズの布製ブックカバーを自作するくらいには人よりも読書量が多かったくせに、現代文や古典との相性が壊滅的だったっていうだけの理由で理系進学を選んだものすごい極端な人間なわけですが、そんなめっきり本を読むことのなくなったわたしに「いちおう1冊借りてきたから!」と言って妹が手渡してくれた本がこちら。

300ページを超えるハードカバー本を2日で読み切った事実が、なんだわたしまだ本読めるんじゃん、っていうひとつの自信を与えてくれたというのはさておくとして。結論から云いますけど、もう、マ――――――――――――ジで辛かった。辛すぎてリアルにその後の食欲が減退した。つらい。つらすぎる。結果が辛いのではなくて、描かれる過程のすべてにつらさが伴っていることにどんどん沈んでいく気持ち、そんなに克明に描かなくても…って言いたくなるくらいに実在感のある息苦しさ、宿る気配すらない未来と希望、もう全部がつらくてえぐくて八方塞がりで、その中でも生きていく方法を確立しようと意志を灯す暁海の姿に終始言葉を失い続けてた。

本を半分近くまで読み進めた日、この夏とあるきっかけから出会って3日目の人と「一人で行くにはハードルが高いから」っていう理由で出掛けることになり。その人とは同い年で、なんでこんなとんとん拍子で話が決まったのかはよく分からないけれど、会話の周波数とか明るい根暗なところが似ていて、とにかく話しやすかった。目的のアクティビティを終えた後、適当な居酒屋に入ってネタみたいなでかさのジョッキを飲んで、店を出たのが20時ごろ。帰る?って聞かれたけどすぐに返事できなかったわたしを見て、じゃあそこで買ってこ!って言いながら近くのコンビニを指さしたと思ったら、缶のレモンサワーと自分用のお酒をカゴに突っ込むとササっと会計を済ませて、自動ドアを出たと同時に手渡してくれて。東京に詳しい(本人いわく土地勘が優秀らしい)その人がマップをひとつも見ることなく迷わず連れて行ってくれたのが、大きな公園だった。

公園に敷かれたでっかい芝生の上には小さなかたまりがいくつも点在していて、同じようにわたしたちも空いた場所に座り込んで乾杯した。そこで見た光景が、なんだか泣けそうになるくらい救いであたたかくて、夏の夜特有の生ぬるい風にあたっていると、最近のライブで披露してくれた失楽園の〈天国なんて行きたくない きみがいないと始まらない〉〈禁断の恋は報われない?やってみないと判らない〉っていう一節が巡り始めて、これはこの先も覚えておきたい時間だなって、不覚にもZeppの会場で歌を聴いた時より強く思ってしまった。失楽園ね、本当にいい曲なんです。

もっと上手に話せたら 判らなくても認められるよ
ずっとこのまま来れたのに引き返すのも悔しいじゃない
どうかここじゃないどこかへ 楽園じゃなくたっていいから
きっと憧れを失くして 祝福の鐘は鳴らない

女王蜂『失楽園』

平均値付近でさまよう会話、ミーハーを自称する人、飲み会で当たり前のように振られる恋バナ、これらのすべてに対して嫌気が差すほどには斜に構えた扱いづらい厨ニの世間知らずなわたしにとっての「禁断の恋」、それはわたしが自分に対して与えた満点をこれからも誰にも文句を付けさせない、たとえ何を言われても揺らいだりせずに生きることであって。でも、もっと上手く話せたらなぁとか、わたしが怯えのあまり頑なに開陳を避けているから人と分かり合うタイミングや機会を失っているのかな、って反省することもいっぱいあって。主にインスタを見てる時なんですけど。だけど、目の前に広がるものを見つめていたら、自分ひとりでいることにこだわらなくていいんだなって、じわじわとそう思えるようになった。天国じゃなくても好きになれる場所、安心できる位置があればいいんだな。久しぶりにあゔさまの言葉を輪郭からその中身までそのまま写し取るように分かることができて、心の底からうれしかった…。

職場の年下の女の子がわたしによく声を掛けて優しくしてくれるのもこわいし、サークルの後輩に異様な懐かれ方をしてるのも全部気味が悪くてほんとに人と目を合わせて向かい合って生きていくことがどこまでも苦手なんですけど、4%とかいうほとんどジュースだろみたいなチューハイを持って隣に座ったその人はその人で、自分がこれまで努力してきたっていう自覚とか自認が1mmもなくて、自分への採点が低すぎるがゆえに他の人から褒め言葉をもらわないと生きていけないとか言い出すから、オイオイオイって焦ったまじで。思い返せば出会った初日にも、後期も単位取らないと(卒業)やばいんだよね~って話していたからなんとなくこっち側に近い人なのかな、って判断したのはまあ事実なんだけど…。お互い話を聞くことしかできないけれど、誓って否定したりはしないから本当に楽な時間だった。もし生きづらいと感じてるなら、なんでそう思うのか?分解したら他にどういう言葉で言えるようになる?って自分のなかに燻るざっくりとした気持ちすら鬱陶しいくらい細かく言葉にしたくなるわたしの話を聞くと、例えばそれってこういうことじゃない?って他のシチュエーションとか例えを使って返事をしてくれて、そのまた逆も然りだったから、これもう会話じゃなくて池上彰のニュースそうだったのかなのでは??って認識にふたりして落ち着いたのまじ笑った。ww当人は1回くらい目合わせな?って言うけど、隣にいる人とは顔を合わせる必要がないのとってもありがたい。失楽園っていう名前のフォルダに突っ込みたい記憶。

ゴミを捨てて駅で別れたあと、わたしの頭の中には今すぐ本の続きを読みたいって欲求しか残っていなかったから、帰ってすぐ寝る準備をして、布団の中でガーッと残りを読み切った。抜け落ちた部分を身を寄せることで埋めようとする若さと痛々しさにしんど…ってなり、両者のお母さんがどちらも真っ白に燃え尽きている姿に苦しんで、どんどん失墜していく都会の男の子と、元から強かった精神をさらに補強して、たくさんの不安が降りかかろうとも生きようとする島の女の子の対比に心がぐちゃぐちゃになってまじ頭おかしくなりそうだったけど、ちゃんと最後まで読めてよかったです。っていうかこれでどうやってPOP書くんだ?無理じゃね?って思いながらも当初の目的をやり終えたので、去年の秋ごろに新宿の紀伊国屋で配られた本書のフリーペーパーをようやく開けるようになりました。書店員さんの感想を伝える技術が高すぎて追撃を食らいつつ、著者の本を愛するフォロワーに感想をぶちまけることでやっと読了できた気がする。物語って映画よりも人と共通で話すために仕入れるには向いていない(冊数がありすぎる)と思うから、同じ本を読んでいる人と通話して、まじで悲し過ぎる😢😢って言い合えるのは幸せなことだよほんと。ひねくれてるしめんどくさいし喋るのは下手とかいう難に難を重ねているせいで人にまったくなじめないわたしだけど、共鳴できる人を見つけて、その人を好きでいることだけは得意だし恵まれてるなって自覚してる。なんだかんだ他者なくして生きれないのは、わたしだってそうなんだと思います。同情されたくはない、けれど孤独のなかに生きることは難しくて、この矛盾とどう向き合っていくのかっていうことなんだろうな。

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