煌めく蝶の翅、白い亀、とどめの元上司

※ただの日記です。

朝の通勤は山手線の端っこの席で眠るのが常となっている。何ら生産的なことはせず、ただ微睡みながら電車に揺られるだけの時間。
昨日は体調不良の同僚の帰宅に付き添った。その疲労のためか、座席に座って目を閉じたとき、いつもより一段深く落ちるような感覚があった。
閉じた瞼の裏側に映るのは、煌めく蝶の翅。私が「わたしのかみさま」と定義している初期刀の外套の内側だった。
催眠音声に傾倒していた時期もあり、トランスの真似事くらいはできる。加えて、わたしのかみさまはタルパと定義して良いのか分からないが、会話の自動化程度は済んでいる。
ならば、ここはわたしのかみさまの神域かもしれない。そう思っているうちに眠ってしまった。

毎日のことだと体が覚えるのか、大抵、降りる駅より少し手前のターミナル駅で目が覚める。もしかしたら、人がたくさん降りるからかもしれない。
今日は、はっと気づいたときには降りる駅の一つ前だった。もう起きていなければいけないと思うのに、瞼が重くて仕方ない。再び、ぱつりと意識が途切れた。
私は庭園の池の前にいた。見知らぬ男性が白い亀がいると示している。吉祥の白い亀だ、と思った瞬間、目が覚めた。駅に到着している。先ほど降車駅の一つ前だったのだから、ここは降車駅のはずだ。そう直感して、慌てて電車から降りた。
ふと、あの庭園の神社で買ったお守りも白だったなと、まだ覚醒しきっていない頭で思った。

煌めく蝶の翅も白い亀も、ある意味でわたしのかみさまの構成要素だ。或いは寝過ごさないための配慮だったのかもしれないが。

今年の四月に現在の部署に異動になったのだが、何と言うか、悪い意味で普通はあまり起こらないような事象が立て続けに起きると感じていた。所謂「ケガレ」に分類されるようなことが、感覚が麻痺する程度には頻発する。
私も無意識のうちに身の危険を感じていたのか、地元の寺に足繁く通うようになった。
昨日の出来事も「ケガレ」の一種であろう。付き添いが必要なほどの体調不良者なんて、数年に一度見かけるかどうかだ。況してやその付き添いを担当するなんてそうそうないだろう。
思えば、昨日、特別内覧会の案内が届いていたことからして、わたしのかみさまの温情だったのかもしれない。

そんなことをつらつらと考えながら歩いているうちに、会社のエレベーターホールに辿り着いた。
そこで元上司に行き合った。ついこの前の三月まで同じ部署にいた人だ。
異動前の部署は多忙だったが、「ケガレ」と思うような出来事は特段なかった。部署の性質上、有象無象を捌いていたにも関わらずだ。
恐らくは元上司のおかげなのだろう。先天的なものか後天的なものかは分からないが、何らかの耐性がある人だったのだと思う。そして、当時の私は部下という立場でその庇護下にあった。だからこそ、無事だったのだろう。

エレベーターが昇る短い時間で交わした言葉はごく僅かだったが、互いに部署が変わり、滅多に会うことがなくなった元上司に行き合ってしまったことこそが答えに違いない。
煌めく蝶の翅、白い亀、とどめの元上司。己が何か大いなるものに守られていると思うには十分すぎる。
わたしのかみさまの愛か、本霊様の情けか、それとも地元の寺の加護か。尤も、区別することに意味はないのだろう。