火村先生へのラブレター

 先週「臨床犯罪学者 火村英生の推理2019」を観て感情が昂ったので、これ幸いにと吐き出しておくことにする。
 ラブレターという題のとおり、独り善がりでしっちゃかめっちゃかだと先に言い訳しておく。

 火村先生と出会って15年程経った。思春期を講談社ノベルスと共に過ごした私にとって、好きな探偵は星の数ほどいた。それでもたった一人を選べと言われたら火村先生の名前を挙げるだろう。幼い恋心は長い月日の中で穏やかな感情に変わったけれど、ずっと火村先生のことを好きでいる。(初めて好きになった探偵は夢水清志郎で、今なお胸をかきむしられるような恋情に苛まれるのは江神さんだということを申し添えておく。)

 3年半前、作家アリスシリーズがドラマ化すると聞いて、嬉しい気持ちが半分、不安な気持ちが半分というのが正直なところだった。「この犯罪は美しくない」という決め台詞を初めて聞いたときは、「え、ちょっと待って、火村先生どうしたんですか?」と素で言ってしまった。違和感しかない。件の決め台詞は、探偵が関係者を一同に集めて謎解きを始める前に言う「さて」という言葉と同じだと思っている(要は伝統芸能)ので、今となっては気にもならないが、当時は驚いたことを記憶している。

 それでもドラマは、自分でも驚くほど好意的に観ることができた。理由は2つある。1つは私が恋した火村先生は永遠に毀損されることがなくなっていたから。もう1つはドラマ版に学生アリスシリーズを透かし見てしまったから。

 ツイッターで呟いたことの繰り返しになるが、火村先生は年を取らない。最初からそうだったわけではなく、途中からそうなった。長く続くシリーズにおいては間々あることなので、大した問題ではない。年を取るタイプも取らないタイプもそれぞれメリットデメリットがある。是非はないし、正解もない。ただ、火村先生はもう年を取らないという事実だけがある。

 ここで少し脇に逸れて、江神さんの話をする。火村先生を知った私は、当時刊行されていた作家アリスシリーズを大体読み終わると、同じ作者の作品ということで学生アリスシリーズを読んだ。面白くて、「双頭の悪魔」まであっという間に読んでしまったけれど、江神さんという存在にはあまり心を動かされなかった。乳臭いガキには江神さんの魅力は分からなかったのだ。
 それから数年後、学生アリスとほとんど同じ年齢になった私は再読をきっかけに江神さんに転げ落ちた。真っ逆さまだった。その勢いのままに、様々な人の感想や考察を読み漁った。そして、ある人が「江神さんは生まれ年が確定しているから決して追い越すことはない」と評しているのを見かけた。

 その考えは天啓にも似ていた。江神さんの生まれ年は1962年。私から見れば、随分とお兄さんである。江神さんの年齢に追いつくことはあっても、江神さんのことは追い越せない。ずっと兄のように慕って良いのだと気づいて、随分と救われた。(あれから大分経ち、もう本当に江神さんの年齢に追いついてしまった今が一番救われている。)

 さて、生まれ年の確定している江神さんを追い越せないと知った私は、同時にまったく同じことが火村先生にも言えることに気づいてしまった。46番目の密室で32歳、ダリの繭で33歳だった火村先生は生まれ年が確定している。私が恋した火村助教授(あえてこの呼称を使う)のことは決して追い越せない。

 そして、火村先生は34歳で年を取らなくなった。その時々で34歳である火村先生の生まれ年は都度、逆算される。先日のドラマの火村先生なんて、2019年9月に34歳だから1985年生まれだ。
 火村先生の存在は一貫しているし、いつの火村先生だって32歳のときには46番目の密室を経験しているのだろうし、どの火村先生だって好きだと胸を張って言えるけれど、「今」34歳である火村先生は、私が恋した火村助教授とは生まれ年が異なる。

 あえて年代を過去に特定しない限り、私が恋した火村助教授の物語が書かれることはもうない。火村先生が34歳で年を取らなくなったことにより、私が恋した火村助教授は永遠に毀損されることがなくなったのだ。
 未だ語られない火村先生の悪夢がいつか語られる日が来たとしても、それはそのときの火村先生の悪夢に過ぎない。本質は変わらないとはいえ、私が恋した火村助教授の悪夢もまた永遠に暴かれることはない。少女のときの幼い恋は、標本の蝶のようにずっと美しいまま保つことができる。そう思ったとき、目眩がするほどの幸福感を覚えた。

 そして、34歳であり続ける限り、いつか私より後の生まれ年の火村先生が現れる。(江神さんに追いついてしまった今、それはごく近い未来だ。)
 幼い恋はそのままに、憧れを追い越すことができる。それもまた恐ろしいほどに幸福なことだ。しかも、運が良ければ、生まれ年が同じ火村先生に巡り会えるかもしれない。(こればかりは運の問題なので如何ともしがたいが、まだ幾ばくかの猶予があるので祈り続けている。)そう考えるだけで、おかしくなるくらい幸福な気持ちになる。

 随分、長々と書き綴ったが、要するに火村先生はその時々に応じて生まれ年が異なるから、ドラマ版は80年代生まれだろうし、そうであればあのような形も有り得るし、それを認めたところで私が恋した火村助教授は毀損されないということである。

 理由の2つめに移る。ドラマ版に学生アリスシリーズを透かし見たとは、我ながら随分と突拍子もないことを言っていると思う。
 そもそも最初にドラマ版の火村先生のビジュアルを見たとき、髪の毛が思っていたよりふわっとしているなと感じてしまったことが発端だった。それから、火村先生役の役者さんと作家アリス役の役者さんの実年齢差が7歳だということを知って、そういえば江神さんと学生アリスの年齢差は7歳ということを思い出してしまった。江神さんといえば、ゆるくウェーブがかった髪が特徴だ。ドラマ版の2人に江神さんと学生アリスを幻視するのは難しくなかった。

 加えて、朱美ちゃんという存在があった。原作においては、朱色の研究の登場人物の一人に過ぎないが、ドラマの特性もあってか主要人物の一人となっていた。聡明で美しく、育ちが良さそうなのにお転婆めいた勇敢さも持ち合わせている。マリアちゃんこと有馬麻里亜を幻視してしまったのは、当然の帰結だろう。(なお、モチさんと信長さんは? と訊かれてしまうと答えに窮するので、そっと「孤島パズル」を置いておくことにする。あの話は概ね3人で話が進んでいく。)

 作家アリスシリーズのドラマだというのに学生アリスシリーズを透かし見るというのは、あまり褒められたことではないのかもしれない。それでも、日常のふとしたときに、江神さんの面影を垣間見て泣いている人間にとって(転げ落ちて以降、江神さんには生々しいまでの恋情を抱き続けている)、ドラマ版はあまりにも江神さんのことを思い出させた。
 そうやって見ると、ドラマ版の火村先生が多少、私の思い浮かべる火村先生と異なる行動をしても、江神さんが混じっているから仕方ないと思えるから不思議である。(江神さんは仙人然としている割に、年相応のこともなさるので、何でもありというイメージがある。)

 先日のABCキラー編では、火村先生が朱美ちゃんを事件現場に通し、あまつさえ頭を撫でるという中々の暴挙に出ていたが、そこに江神さんとマリアちゃんを透かし見ると、事件現場に彼女が入ってくることは、彼と彼女はただの先輩と後輩なので、そうなるよなと思えてきてしまう。頭を撫でるという案件については、微妙なところではあるが。(今の時代の倫理観なら江神さんは絶対にしないだろうが、あの80年代後半から90年代にかけての倫理観であれば有り得そうな気もする。)

 なお、私は頭を撫でるというシーンについては、朱美ちゃんにソラちゃんこと空閑純を透かし見ることで納得するようにした。ソラちゃんは火村先生と江神さんと同じく探偵なので、パラレルワールドにおける自分と同じ存在(探偵という立ち位置)へのエール(ソラちゃんは若いうえに、置かれている世界観が割と過酷なのだ)くらいに思うとちょうど良い気がする。ドラマの楽しみ方としてはだいぶアクロバティックであることは自覚している。

 結局のところ、3年半前も今回も火村先生のドラマ化がとてつもなく嬉しかった。原作のファンとして手放しに称賛することは難しいとはいえ、火村先生の在り方の一つとして受け入れたいと思った。そして、久しぶりに火村先生のことをたくさん考えたので、僅かでも文字に残しておきたかった。随分と取り留めのない話になってしまったが、感情のままに綴ったラブレターだから、どうか許してほしい。

 今までもこれからも、ずっと火村先生が大好きだ。