晴のち曇と聞いたがめっちゃ腫れとる!

こんにちは、寺谷です。
先日アバターを見たのですが、前作を見ずに今作を見たので内容わかるかなと不安に思っていましたが流石に上映時間3時間というだけあり、割と理解出来ました。
関係ないんですけど、今新幹線から虹が見えたので写真撮りました。周りの人みんな撮ってて可愛い
理解出来たのでアバターについて書こうと思ったのですが、なんかめんどくさくなったのでいまさっき買ってきた西尾八ツ橋について色々調べつつ歴史等を書いていきたいと思います。



まずこの写真に写っているいまさっき買ってきた八ツ橋から得られる情報は西尾八ツ橋は1689年創業ということ、本家八つ橋西尾株式会社は京都市左京区聖護院西町7にあるということ、これに入っている八ツ橋は5個であるということ、そして、にっき味の八ツ橋が1番好きだということです。さて、この中で気になるワードが出てきました。本社の住所が聖護院であるということです。僕のイメージですが、八ツ橋と言えば西尾と聖護院を思い浮かべます。別の会社だと思っていたのですが、西尾の住所が聖護院であるということはもしかして会社一緒なのでしょうか、調べてみましょう。
これも関係ないのですが、「しょうか」と打つと10割の確率で誤って「翔鶴」と変換してしまうのでできるだけ使わないようにしたいと思います。いいで翔鶴。
双方のホームページを確認したところ、創業年代や創業地点は同じであるということが判明しました。しかしながら、所々に相違点があり、西尾八ツ橋の方には「寛文年間に家の一角に茶屋を設けて白餅と焼菓子を供するところから始まる」と書いてあるのに対して、聖護院の方には寛文年間のことは書かれておらず、元禄2年創業から始まっている。元禄2年のことに関してはほぼ同じである。それ以降のことはかなり異なっている、唯一記載年代が重なっている昭和15年〜昭和20年にかけての事柄もかなり違う。
以上のことをふまえると、このふたつの会社は違う会社であることが分かる。
では、何故同じ地点に会社があるのであろうか。それは同じホームページの初めに記載されている「聖護院の森の茶屋」がキーワードなのであろう。双方共ここから始まったと書いてある。では、何故このふたつの会社は同じこの「聖護院の森の茶屋」で始まったのであろうか、何故この場所であったのだろうか。
この場所はどうやら平安神宮の周辺地帯であるようだ。これとなんらか関係があるのかと思ったがなかった。
どうやら関係があるのは周辺にある金戒光明寺であるようだ、この境内にある八橋検校という人物の墓こそが八ツ橋が出来た所以であり、名の由来であるようだ。曰くこの八橋検校の墓参りに来る人に向けて作ったものが八橋検校の持っていた琴に似ていたことが由来のようだ。

普段食べている八ツ橋にこんな歴史があったとは、驚きました。やはり長く愛されている食べ物にはとても深い歴史が隠れているのですね。これを機に他の和菓子についても調べてみよう、そうすればブログのネタには困らんぞ、と考えま翔鶴

以上、極寒の地へ大量の荷物を持って向かう寺谷からお送りしました。ありがとうございました。


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