一航戦 その戦力やいかに

こんにちは。寺谷です。
先日、友達との会話の中で一航戦の話が出たので一航戦について書きたいのですが(脈絡、そんなものはない。)まず、大前提として一航戦の認知度がどの程度あるのか、一航戦が最強であることや、強さゆえのおごりによって撃沈したという噂など、一航戦をどれだけ知っているかによって必要な情報は違うので、全く知らない人でも理解できるくらいまで細かく書いていきたいと思います。

一航戦とは

まず、そもそも一航戦とは、第一航空戦隊、主に空母赤城、加賀のことを指します。第一航空戦隊とは、日本海軍が運用した主に空母を用いた戦隊(航空戦隊)の一戦隊ことを指します。戦隊運用は昭和二年(1927年)、空母赤城就役からで、初めは、赤城、鳳翔が一航戦所属でした。一航戦が赤城、加賀の戦隊になったのは真珠湾攻撃作戦の段階です。この時、最新鋭空母、翔鶴瑞鶴の就役もあり、航空戦隊は第五航空戦隊まで拡張されました。しかし、昭和17年(1942年)ミッドウェー海戦により、赤城、加賀は沈没。そのあとを翔鶴、瑞鶴が継ぎ、四航戦瑞鳳が導入されました。最終的に海軍の航空戦力消失とともに航空部隊は解体されていきました。

ひとえに一航戦といっても赤城、加賀だけを指すわけではないということがまずこれで分かったかと思います。しかし、やはり有名なのは赤城、加賀。一航戦が最強と言われたのは、この二隻の時代です。では、なぜ、この二隻が所属していた時代の一航戦が最強と言われていたのかを書いていきたいと思います。

最強の一航戦

一航戦が赤城、加賀となったのは真珠湾攻撃の時です。この時、航空機、空母の運用自体も本格活用されていなかったため、優秀なパイロットや司令官は一航戦に着任することが優先的に作戦がたてられました。その作戦のおかげで、真珠湾攻撃時、命中率は雷撃90%、爆撃(水平爆撃27%、急降下爆撃59%)という驚異的なものでした。ただ、これだけではこの命中率がどれだけ驚異的なものなのかがわかりにくいため、例を挙げると、戦艦主砲の命中率は約10%、珊瑚海海戦時、米軍雷撃16%、爆撃7.5%、日本軍雷撃11%、爆撃9.1%。とこれくらいなので、いくら奇襲攻撃だからと言ってもわけわからん位の命中率であったことがわかります。
ちなみに、ドイツ軍のフリッツXを使用した空襲は約30~60%であるので、止まっているから馬鹿みたいに命中率が高いというわけではないということがわかります。続くセイロン沖海戦においても命中率は極めて高く、空母五隻、爆撃機総命中率は78%とこれまた驚異的な数値です。ちなみに、当時の爆撃命中率は25%程とされていました。この空母五隻の中でも、赤城は命中率94%、命中しなかったのはたった一撃のみ、しかもその一撃は投下不能となったもので実質命中率は100%であったとも言えなくはないでしょう。これらの高命中率をたたき出したことで一航戦は最強と言われるようになったのです。しかし、この高命中率をたたき出したという自信と驕りがミッドウェーでの敗戦を引き起こしたと言っても過言ではないので、どれだけ優秀な成績を治めたとしても慢心はしないようにしましょう。


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