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天然のドライフラワー

昨年末、薔薇を6本もらいました。ちなみに薔薇6本の意味は「愛しい人」で、ロマンティックですね。意味など知らず自分の意志で6本選んでいて、その「6」にはまた別の意味があったのですが。
それは追々記事にするとして……。
(Twitterにあげた記事のまとめをする予定です。もうTwitterには将来性がないと読んでいます。)

東京は冬薔薇が咲く、それだけ温暖な気候です。上京して今の街に住むまでは山茶花も椿も春に咲く花と認識していました。
山茶花はもしかしたら南限の関係で咲いている風景を見ていないかもしれないです。同時に南限であろう、橙色の球体の柑橘類(みかん?)がありますよね。私はあれが食用にできるのか知りませんが……。
あと金木犀も咲かない場所でした。東京に上京して、なんでお手洗いの芳香剤の香りが充満するのだろうと大変失礼なことを思っていましたが、寒冷地域の出身者にはやはり人工的なものにしか思えません。
今もです、慣れない。

私の故郷である信州は東京と大して緯度は変わらないのですが、標高700m(実家)だとだいたい植生が東北北部と同じになります。こどもの頃育った北アルプスの麓の村は標高1,000mを超えた場所にあり、北海道のように白樺や針葉樹林が生茂っていました。
今でも北海道へ行くとちょっと郷愁感を感じます。

話が逸れました。

朽ちかけた冬薔薇です。遊歩道に咲いていたものでこの場所で薔薇が自生するのは難しいため、有志の方が植えたのかな?この遊歩道は季節折々の花を咲かすので楽しいです。
これは咲いてからしばらく経っていると推測しますが、1月の降雨量の少なさと乾燥とで、咲きながらもアンティークな風合いになってきており退廃的で美しい。

まるで天然のドライフラワーのようで、朽ちていくことは決して醜いことではないと思いました。

腐敗して朽ちていくさまは好きではない。
まるで人間のようで、人間は水分量が多く湿気って腐って蛆が湧いてしまう。陰口をたたくような人が陰湿と例えられるのも、人間が生物学上水分量が多いから「湿」とつくのかもしれないですね。
湿気って腐って、そこまでして醜く生きるのは美しくないし、美しくないのなら私は枯れて朽ちたいと思っています。

かつて権力者はミイラにされた史実もあります。それはまた意味が違うのですが「水分を排除する」過程は同じでしょう。

何が言いたいのか分からなくなってきましたが、いつか書くドライフラワー生成記の序章として記しておきます。

そして私はしばらくnoteを書くような状況下ではなくなります……

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