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第2話 人生の常識を覆すシータの衝撃編

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シータヒーラーでプロになる!

第2話 人生の常識を覆すシータの衝撃編


私がシータヒーリングを始めたきっかけは、当時勤めていた会社をリストラにあったからでした。

それまでの私は、恐怖と不安の中をずっと生きていました。
というのも、私が高校生の時から母がずっと乳がんだったからです。

「お母さんは、いつか死んでしまう」

17年というとても長い間、私はその思いをずっと抱え続けていました。

長い闘病生活を家族みんなで生き、とうとう母は亡くなってしまいました。
そのとき、私の心にあったのは、深い悲しみと同時に、誇りにも似た感情でした。

私は母のためにずっと頑張ってきた。
私は家族に対して良いことをしてきた。
それは人として正しい生き方であり、母との別れは悲しいけれど、何も恥じることはない。胸を張っていいはずなんだ、と。

だから、私はどこかで思っていました。

神は私を認めてくれる。
そして、私のこの思いと行いに報いてくれる。

「私は良い行いをしたのだから、これからは必ずに幸せになれる」と。


母のための苦労は報われず 絶望のどん底へでも、それは甘い願いでした。


母が亡くなってからも、私の生活は変わることなく、貧しく荒んだままでした。
相変わらず私の人生は最悪だったのです。

暮らしが上向くでもなく、かといって、貧しくても喜びに生きる術も知らない。
人のことばかりに時間とエネルギーを使っていた私は、自分を喜びで癒やす方法も、人に愛される方法も知らないまま、ここまで来てしまっていたのです。

こんな私が人生を立て直すことなんて、きっと無理なんだ。

未来に対する絶望は、ますます強くなっていくばかりでした。

そんななか、悲劇が私に追い討ちをかけました。
2012年3月。東日本大震災の津波が当時大好きだった人を奪っていったのです。

母を失った悲しみの傷が深いまま、最愛の人を未曾有の災害で失うなんて・・・・・・。

私の心は引きちぎれんばかりでした。
身も凍る感覚でした。

不幸の泥沼は、決して私を逃がそうとはしなかったのです。

孤独を超えた孤独。
悲しみを超えた悲しみ。

それだけが、私を支配していました。

もうだめだ。死にたい。

ついに、そう思いました。

17年間、母に寄り添い、家族の義務を果たし終え、今度こそ自分に幸せが巡ってくるはずだったのに・・・・・・。

私を支えてくれる人は、もう誰もいません。
一人で生きる勇気もなく、30代にして人生の最期を感じていました。

そんなときです。
当時の職場の先輩から、ある一通のメールが届いたのは。

「自分の人生は自分で選択できる」の衝撃


先輩のメールには、近況報告として、最近受けたシータヒーリングの講座についての感想が書かれてありました。

私は霊感もまったくなく、スピリチュアルな本には少し興味がある程度。
どちらかといえば、目に見えないものは信じないタイプでしたが、その時はなぜか「私も受講してみようかな」と思いました。

理由は定かではありません。
何か感じるものがあったのでしょう。

こうして私は、シータヒーリングの「基礎セミナー」を受講してみることにしたのです。

その感想は「びっくり!」のひと言に尽きます。

基礎セミナーで語られたのは、私の常識を完全にひっくり返す内容の連続でした。

私はそれまで経験してきた不幸を「運命だから仕方がない」と思っていました。
でも、「そんなことはない」とシータヒーリングは静かに教えてくるのです。

人は自分で選択した人生を生きている。
人は自分で生きたい人生を創り出せる。

だから、私の今の苦しみは、私が選択し、生み出した現実なのだ、と。

この苦しみが自分で選択した生き方だなんて、すぐには受け入れられませんでした。でも、シータヒーリングの教えによれば、自分にとってツラい出来事が、そもそも現実化しないようになる考え方がある。ツラい現実を引き寄せてしまわないように自分が変わる方法があるというのです。

「創造主のエネルギー」という感覚も新鮮でした。
それは誰もが知っているはずなのに、ほとんどの人が忘れてしまっている愛のエネルギー。この愛のエネルギーとのつながりを取り戻せば、自分が欲しい経験は現実になる。クラスでは、その方法が誰にでもできることとして明かされているのでした。

脳波をシータ波にした状態で創造主と愛のエネルギーの中に入れば、人生に対する恐れはなくなり、欲しい幸せがやってくる。その道が開かれないのは、幸せを妨げる無意識のブロックが働いているからです。
そのブロックを見つけ出し、解放する方法も学ぶことができました。

どうして今まで知らなかったのだろう。

クラスを終え、衝撃の余韻に浸りながら自問しました。
やがて、「そうか、自分が求めていなかったからだ」と思いました。

幸せな願いがすんなり叶う現実なんてない。
苦労して、苦労して、それでも厳しくて報われないのが人生なんだ。

そんな風に思っていたから、私の人生はそのようであり、シータへの道も閉ざされていたのです。

あの時、先輩のメールで「受けてみよう」と思った理由は、今となっては正確にはわかりません。絶望の底にいた私は「望む幸せがすらすらと叶う、そんな世界があってもいいじゃないか」と、ついにそのように思ったのでしょう。それが、私の人生が変わるすべての始まりでした。

続きは・・・
第3話 シータのすべてを学ぶ!決意編


シータヒーリング” 学びたい方
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