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古事記イハナガ姫をとく。一ノ段 

まずは、どうして、この神様が知りたかったか。

個人的見解ですが、
イワナガヒメが個人的に好き。

みにくいなんて、
そんなことないんだから。
みにくい=みえにくい
見えにくい。
って訳しちゃおうかな。

さてさてさて…
この神様に繋がるには、どっから、話を書こうか…

蠍座だからか、好きになったらトコトンおいたくなるようです🎵

前の記事で、
ホツマツタヱにて、触れさせてもらいました。

ホツマツタヱでは、
ハヤコ様の生まれ変わりが、
イハナガ姫様と書かれていました。


ふう。

古事記について、
学ぼーコーナー!
まずは、

古事記のお勉強と、
歴史のお勉強をやってみる必要が😭  
けど、わたしはキチキチしたのが、
こうみえて、
めっちゃ苦手。

あんまり年号覚えるの得意じゃなかったし。
と、ゆーわけで、
そこも、みつつ、わかりやすく、(かるくテキトーに笑)
みていきましょーぉ。

やっぱりこの御神紋
すごく、どっかで、みたことある感覚。
すごく親近感を覚える。

そっから、私の好奇心がさわきはじめた。


津峯神社 主神 賀志波比売大神



うちの実家は、父親が大工で、自分で設計して
建ててるのだけど、
こだわりかなにか、
でっかい、カランカランなる筒上のシャンデリアみたいなのをつってあったところを、
私たち兄妹が大きくなってから、リフォーム。一階から、天井まで、リビングは吹き抜けだったのを、床を作って部屋にしてくれたのだ。子供たちが大きくなったら一緒に建てる予定だったらしく、
そのとおり、命綱なんてせずに、
二階の高さから足場をくんで、
金槌で、父と釘をうって、兄弟や、仲のいい親子友達みんなと一緒にリフォームしたの。
なかなか、経験できないですよー😆

発想が
ぶっとんでる面白い親。

天井が、これ。

ごしんもんと同じ八角けいの、天井。いまは、でっかい、シャンデリアみたいなのは、この床をとうに越える長さだから、外したの。
ライトは普通にかえている。

父、母、
なにを思って八角にしたのかはわからないけど。

ちっさいときから、お陰さまで、ここであらゆる、未知なるものとの体験をさせてもらいまして😭 鍛えられたなぁ。
いや、
なにがいいたいか、

ごしんもんをみた瞬間、
なーんか、、と思い出した瞬間、
わ!と思わず嬉しくなった!

津峯神社は、人皇第四十五代聖武天皇の御宇、神亀元年、神託によって

國家の鎮護、民族長寿延命の守護神として賀志波比売大神

を。
更に主神、

賀志波比売大神は延命長寿を司り一日に一人の生命をお助け下さる


 大山祗大神(相 殿)

 え、 かしはひめって、、
 
古事記にものってる
ニニギのみことの奥さまにするお話で、
コノハナサクヤヒメと、
イハナガヒメのお話と似てない!?

絶世の美女の神様、コノハナサクヤヒメ。

長寿をつかさどる、イワナガヒメ。

しかし、ここ、徳島県では、
アマテラス様の幼名だと、伝えられている。(一部で)
なんで、そうなるか。

夏至を、

ゲシじゃなくて、
カシと読むと…

カシはひめ。
夏至波姫。
さぁ。
いろいろ、まざってるんよなーー。。
不比等さーん😭

さて、今日はここまで。ーーーーーーーーーー
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歴史知りたい人こっち~👍️↓↓

かるく歴史のお勉強編ー!

神亀元年っていつぐらいー?

724から729あたりで、
そのときにはもう、
日本書紀はできてて、
古事記は712年あたりに、太安万侶たちが編纂。このあたりに登場する人物で、
一番 、権力者だったのは、、
 中臣鎌足=藤原鎌足。
の子の 藤原不比等。


このかたが中心となってたようだ。

このかたは、ほんとに計算の天才。

てゆっても、
和歌とかの才能はあまりきかないのね。

不思議人。


当時、物部のもりや(仏教反対派)と戦って、勝った、蘇我。ちからがあった、蘇我入鹿を滅ぼして、
中大兄皇子(後の天智天皇イミナが、葛城)率いる、中臣鎌足(鎌足死の間際に、藤原の氏を天皇から賜った)たち
は天皇中心にもどした。

天智天皇が、
弟のイミナ大海人皇子(後の天武天皇)に、天皇になってほしいといったが、
大海人皇子は、『試されている…?』と思い、断った。
そして、別の場所で暮らしているときに、
だんだん、あちらからの物品が細々くなっていき、我慢の限界がきた。

 次に継いでいた、天智天皇の子供の大友王子と、争いがおこされた。

勝ったのは…
大海人皇子。
天武天皇となる。
皇后は、兄の天智天皇の子供(後の持統天皇)。
律令をつくりはじめる

んで、二人の間にできた草壁皇子と、天智天皇のもう一人の子どもが結婚して、
後の文武天皇が、生まれた。

持統天皇が体調が悪くなったため?、譲渡した。 祖母、持統天皇が後見としてついていたとのこと、文武天皇異例の14才。 
文武天皇は
竹取物語の帝のモデルらしい。
そのときの文武天皇の夫人が、
不比等の長女の 宮子
今さらだけど、不比等のお父さんが鎌足だからね、すでに、地位は結構あったんですねー。

大宝律令がさだめられた。
701年にできて、翌年にこうふ。

このときに、倭→日本の元号が。読み方はまだ
やまと。

で、二人の間にお子さまが。
これが、
首皇子(後の聖武天皇)。まだ7才だったから、
預かるかたちとして、
文武天皇のお母さん、首皇子のおばあちゃんが、一時的に天皇に。


そして、適齢期?に、
聖武天皇となり、マツリゴトを行う。
36年間、実の母宮子は心的要因で、子の首皇子に会えなかったらしい。

そして!そして!
このかたと結婚したのが!!!!


藤原不比等 なんと、4代の天皇にわたって、遣えておられたそう。日本書紀や、大宝律令も一緒に力添えをしたみたい。


の娘。 名前も 光明子(こうみょうし)
光輝いて産まれたとか。

てなわけでして、
このかたも後に 例にならって、天皇が亡くなったら天皇になるだろうって、不比等たちが、
強気で。押してくんよー。
ガンガンこられるわけ。
普通は、皇族から天皇は出すから、
当然、
反対派はいます。
なにをいっちゃってんのっ?って。
さぁ、そこで、
不比等たちは
反対派のものたちを、自害においやっていく。

自分の子供たちは助けた。

藤原家の天下人のお話に繋がってくる。


その間にも、天智天皇のルーツが天皇になったり。


あの、平将門も
あの空海も
アベノセイメイも
ライバルのアシアドウマンも、
藤原道長 も

鬼も。

この後に繋がってくる話。
 この時代、めちゃすごそう。

あれ?
要約すると、
神亀🐢時代ってのは、
藤原不比等の天下が始まりはじめた時代。
でいいんかな。
その時代に、
はやり病とかあったらしくて、
そのために、
建てられたと思われる
神社。

神亀🐢元年。
白い亀がきたんだって。
すぐに、年号かわるけどね。

以上!!
700年前後の歴史…でした!
はぁ。
年号でみると、面白いけど。
ふーー。
ーーおつかれさまでーす!😆🙏パチンっ




















やっぱりひっかかるのは、
県外にもあって、ごさいしんが、それぞれ違うのよね。
徳島県では、賀志波比売大神
アマテラス様とゆわれている。
しかし、相して祀られるは、
オオヤマツミ様。

前の記事では、賀志波比売大神 


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