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自分ごとを終わらせる。

自分の天命はなんなのか。

自分の生きてる意味はなんなのか。

なんでこんなに生きづらいんだ。

他者からは、わかりづらい形の愛情が、内側で行き場を求めてぐるぐるする。

「はい、どうぞ^^」と、私のその愛情を差し出したとき、もし、「あっ要らないんで。」って言われてしまったら、もう立ち直れない。と思って生きてきた節があります。それが普通に出来る人がほんとに羨ましかった。怖くてしょうがないんですよね。とほほ。

でも、誰だって傷つきたくないし、リスクは嫌だよね。それも乗り越えて、差し出せるかどうかだよね。

小学生の頃、父がたまたま入院していた時に、お見舞いと父の誕生日を兼ねて、本をプレゼントしようと思い、病院に持って行ったけど、結局渡せなかったな。

渡せなかったって事実が、自己否定感を強くした出来事となった。とほほ

「なんだこれ。こんなもん要らんわ。」って絶対言われると思ったんだよな〜。

でも、もうそんな愛着の壁を終わりにする。

今までは、居心地が良かったけど、もうそろそろ本当の意味で他者や社会や地球の役に立ちたい。

いつも気付くと同じことをぐるぐると考え、同じ失敗(と自分で勝手に思い込んでいる)をする自分を責める。

その繰り返しをしながらも、すこしずつパターンを変えていくことにします。

まずは、失敗と思い込んでるのを一つずつ、解いていきます。失敗と定義つけてるのは自分だけなんだから。

失敗が減れば、そこに使ってたパワーを、本来望む方へ使えるはずだ!

わからないけど、そうやって乗り越えてきた人もたくさんいるはずだし、愛着の問題は、多かれ少なかれ、多くの人が持ってるものだと思う。

私が思い描く理想の世界は

マイノリティの人たちが生き生きと存在感を放ち、

大好きなドラァグクイーンの人が美しさを放ちまくり、(わたしはそれをしっかりと見るのだ。)

人間関係が苦手で、一般社会に馴染めない人が、自分の得意なことや好きなことで、スパークして情熱を燃やし、

幼稚園や学校、集団行動が苦手な子供の苦手を、普通に認めてあげられる

障害を持つ人が、それを一つの個性として認め合い、できないことは普通に助け合い、気を楽にして生きられる。

子育てには、みんなで参加。助け合い。どこの誰より、目の前にいる子供やお母さんが困ってたら、当たり前に助け合う。

困る前に、社会全体で子育てをする意識になったらいいな。

そんな世界。

感性をありのままに表現する世界。

それを携えながら、ちょっとずつ進もう。

ここ最近オラクルカードを引くと、スロウダウンがいつも出るので、

ペースを落として、私の中のくつろぐ場所に戻り、

少し落ち着いていきたいと思います。



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