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人の生き様

実は一週間ほど前に、知り合いの方が亡くなりました。

会う頻度と関係なく、その人の存在そのものが、私にとってとても大切な人でした。

その叔父さんの死を通して感じたことをノートに書かせていただきます(^^)

興味のある方、お読み頂けたら嬉しいです。🌸

🌸🌸

亡くなられた方は、叔父さんにあたる人で、その叔父さんは、少し変わった人でした。それが小さな時の私の目にはとても不思議で興味深く、同時に少しの怖さもあった。

今思えば、その叔父さんとの関わりから、人の奥深さのような、言語化が難しいんだけれど、人の抱えてる思いへの興味のようなものが深くなっていったと思う。

叔父さんは一人暮らしで、精神の病を抱えていて、でも、面白くて優しい人でした。

叔父さんが寂しそうに感じたので、随分昔に、手紙を送ったことがあった。〜大丈夫ですか?何か手伝えることがあれば言って欲しい〜という様な内容でした。

返ってきた手紙には〜フーテンの寅さんの様に、風まかせに生きていきますから、心配は要らない。あなたは、あなたのことを頑張ってください。〜という様な内容だった。

本当は叔父さんにもっと頼って欲しかったけれど、ただでさえ足元おぼつかない当時の私、人の同情してるよりも、まず自分のことをしっかりやらなければいけないことを見抜いていたのかも。

叔父さんが亡くなったと知り、お通夜もお葬式もないとわかり、私に出来ることはなにかと自問自答した。お通夜もお葬式もないなんて、寂しいなぁと思ったけど、形だけが大切な訳ではないし、亡くなった人をみんなで思い出し、語り合うことは素敵だと思ったので、一人でもそれをすれば良いと思い、叔父さんとの思い出を一人で回想した。回想すればするほど、当時交わした、へんてこな会話や、叔父さんがリサイクルショップで超低価格でゲットした、ちょっと小洒落た帽子で少し気取ってる?叔父さんの姿など、面白いことばかりが思い出される🤣

そんな叔父さんが亡くなってしまったことが、ただただ悲しかった。

叔父さんの魂が癒されて、宇宙の源へ戻れる様にサポートして欲しいと、お祈りして、それと、私が見てきた、叔父さんの生き様を、私の中の宝物にしていこう💫と思った。

偶然か必然なのかわからないけど、叔父さんの命日は、たまたま私の誕生日だったので、益々その思いは静かに広がった。

不器用でも、命、魂を、叔父さんなりに生きた姿を、私はこれからも大切な私の思い出の一つとしていこうと思う。

人間関係の自分の不器用さや、上手く出来ないこと、たくさんあって、正直、楽しそうに、軽やかに生きている様に見える人が羨ましい時もあるけれど、叔父さんの様に、不器用でも、自分の命を最期まで、自分なりに生きること、それが、とても大切なんじゃないか、、この一週間そんな事を考えながら過ごしました。

死は自然の摂理で、悪いことではないのも頭ではわかっているのに、大切な人を目の当たりにすると、感覚は全然違っていて、知識で生きることと、体感しながら自分を生きること、その違いも感じてました。

人との何気ない会話や、一緒に過ごした時間というのは、とても大切なものなんだなぁ。その瞬間って大切なんだなぁ。

思い出す叔父さんの命の姿を、大切な宝物にして、私は私の命を生きよう🌟

私だって、誰だって明日死ぬかもわからない。

大切なことを思い起こさせてくれた、叔父さん、幼い頃の私に、不思議な感覚を灯火してくれた叔父さんのご冥福を心から祈って、終わりたいと思います。✨

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました☺️




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