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本を読むということは自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ


今日はショーペンハウアー著の「読書について 」という本を読んで考えたことがあったので書いていきたいと思う。ショーペンハウアー(1788年~1860年)は、ドイツの哲学者で、彼の思想はニーチェ、ワーグナーなどの哲学者や文学者に多く影響を与えた。

この本は、「本を読んで理解したつもりになっているが、実際には全然理解してい。むしろ本を読むことで自分の思考が低下している」と多読の悪や、自分の頭で考えないことによる弊害が説かれている。1851年に出版されているが、現代の情報過多社会の中で生きていくうえで、私たちが気を付ければならないこととリンクしており、非常に考えさせられた本であった。


自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけ


本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる。自分の頭で考えることからはなれて、読書にうつると、ほっとするのはそのためだ。だが読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆け巡る運動場にすぎない。読書をやめて、他人の思考が私たちの頭から引き揚げていったら、いったい何が残るだろう。だからほとんど一日じゅう、おそろしくたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われてゆく。だがこれは非常に多くの学者にあてはまる。かれらは多読のために、愚かになっている。暇さえあれば、すぐ本を手に取り、たえず読書していると、たえず手仕事をするより、もっと精神が麻痺する。手仕事なら作業にいそしみながら、あれこれ物思いにふけることができるからだ。

ショーペンハウアーは読書をするのが悪いと言っているのではなく、自分の頭で考えずに本を読むことがダメだと言っているのだ。本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけだ。とも述べている。

私もこの本を読んで頭を打たれた。最近、たくさん本を読むことで知識をいっぱい取り入れたいと思っていたので、多読することが増えてきていた。2か月前からアマゾンのKindle Unlimited(電子書籍本の読み放題)を月額980円で購読している。しかし、多読しても結局明日には内容を忘れていることが多い。本の内容がほとんど身になっていない。これは本を読んでいないことと同じことではないか・・?読書をしている自分に満足し、わかった気になっているだけではないか?と自分の読書のあり方を疑った。

そしてショーペンハウアーの「読書について」を読んで、自分は読書をすることで、自分の思考を働かせておらず、他人の思考をなぞっているだけだったと気づいた。

手当たり次第に読むのではなく、古典を読むことが重要

ショーペンハウアーは、多読で自分の思考を低下させないために、あらゆる時代、あらゆる国々の、常人をはるかにしのぐ偉大な人物の作品、名声鳴り響く作品である古典を勧めている。毎日ありとあらゆる新書が出版されている。それは9割金儲けのために書かれた駄作であると文面から著者の怒りが感じ取られた。本当に未来に受け継がれるべき良書は、古典にある。とはっきり述べられていた。古典には常に物事の根源や人間の本質を究めるためのヒントが書かれているという。しかしこれも、ただ読むだけでは読んでいないのと同じことである。やっぱり自分の中でしっかりと反芻してじっくり考えることで、初めて自分の血となり肉となる。

古典というとなんだか難しそうなイメージだけれど、挑戦してみようかな。自分にないものの答えを探すために本を読むことが多いけれど、本を読んで満足してわかったつもりになることがダメなんだと思った。へたくそでもいいから、やっぱり自分なりに文章にしてアウトプットしていこうと思った。


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