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第二子を流産しました②(流産当日)


流産確定の当日のお話です。流産前日から実家に帰って療養していました。

朝から身体がしんどい

実家に帰省し和室の布団で安静にしていました。ご飯も実母が作って枕元に用意してくれていました。ご飯は普通に食べることができていましたが、身体はだるかったです。腰痛がありました。薬を飲んでいるはずなのに、出血が治まらないどころか、出血が増していました

お昼すぎ、トイレに行くのもしんどくなってきた

実家のトイレは2階にあって、私は3階の和室で休んでいました。お昼過ぎから、階段を下りてトイレに行くのもしんどくなっていきました。お腹と腰の痛みも増してきました。でも、切迫流産だしお腹が痛くなるのが普通なのかもと思っていました。どれくらいの症状が出たら病院へ連絡すれば良いかわからなかったです。痛いと言っても、横になっていれば、まだ我慢ができたんです。とにかく動かないでおこうと気を付けていました。この時点でもうすでに、生理2日目以上に出血していたかと思います。。

夕方の4時過ぎに血の塊が出た

夕方、トイレに行くと便器に血の塊が。ナプキンにも血塊がついていました。頭が真っ白になりました。まさか・・という感じでした。胎嚢が出てきたのかなと思いました。ナプキンに付着した血塊は捨てずにビニール袋に入れて保存しました。病院に連絡した方がいいのかどうしたらいいのかわからずパニックになりながらネットで検索。やっぱり、血塊出てしまったら流産の可能性が高まっていると書いてありました。

そしておそるおそるかかりつけ病院に電話し、すぐに病院に来てくださいと助産師さんに言われて病院へ向かう用意をしました。診察時間外だったので、救急外来へ行くことに。(かかりつけの産婦人科は二次救急病院)

病院の診察券、保険証、お金、血塊がついたナプキンも一緒にもっていきました。息子は実母に預けて一人で病院へ。

実家は病院から遠いため、タクシーより電車などの交通機関を使った方が早く着くようだったので、腰痛腹痛あり、かなり出血もしていましたが、電車で向いました。帰宅ラッシュ時で電車の中では座席に座ることができず、電車の隅っこでうずくまっていました。変な人だと思われてただろうな。。でも周りを気にしている場合ではありませんでした。

ついに流産確定

18時頃、病院の救急外来につき、少し待っていると看護師さんが来て、待合室でバイタルチェックをしてもらいました。そして産婦人科病棟の助産師さんが来て、産婦人科病棟へ車いすに乗って移動しました。

産婦人科病棟の内診室に入りました。医師による内診エコーの結果、子宮から完全に胎嚢が消失しており、流産が確定しました。

「ああ・・やっぱりダメだったんだ」と思いました。
覚悟はしていましたので、そのときはとても冷静でした。

子宮の入り口に子宮の付属物(?)が詰まっており、痛みの原因になっていたので、医師にピンセットで詰まっているものを掻き出してもらいました。掻き出されるとき痛かったです。でも、詰まっているものが取れたら、少し痛みがマシになった気がしました。

「旦那さんが病院に到着し次第、医師から詳しく説明します」と言われ夫を待ち、夫が到着後医師から説明がありました。

流産確定の説明をしてくださった医師は、第1子妊娠中のときの主治医でした。まさかこんなかたちで再会するとは。。優しくて親切な先生なので落ち着いて話を伺うことができました。

初期流産の原因とは?

初期の流産(妊娠12週目くらい)までは、ほとんど胎児の染色体異常であることが原因で妊娠が継続できない運命にあるそうです。だから、お母さんのせいではないということを強調しておっしゃっていました。流産のほとんどが妊娠初期に起こるようです。

染色体異常で胎児が育たない運命にあるということは頭で理解していたつもりでも、やっぱりショックですね。でもこのときは冷静に話を聞いていました。流れてしまったものはもどってこないとわかっていました。

流産の診断を聞いた夫や周りの反応は

流産ということがわかった夫の反応は、残念だったけどまた次があるよ。育たない運命だったんだね。つぎまた頑張ろうというようなことを言っていました。そして私の身体もねぎらってくれました。また、実家にも流産だったことを伝えると、残念だったねと言ってくれました。

流産した当日の自分の気持ちは

流産確定直後は、”仕方がなかった””妊娠している女性の10~15%は流産する可能性があるよね”と思い、あまり落ち込まないようにしようと思っていました。

そして病院から帰って夫と自宅へ戻りました。夜も遅かったので実家に帰らず、息子は実母に預け、その日の夜は夫と2人で自宅で過ごしました。

腹痛もマシになり、帰ってすぐにシャワーを浴びました。家に帰って落ち着いて1人になると緊張の糸が切れたのか、涙が止まらなくなりました。今まで気が張っていたのかもしれません。

シャワーを浴びながら、少し身体に無理をしすぎたことだったり、ストレスを感じることがあることもあったため、そのために流産したのではないかなど考えてしまいました。頭では染色体異常だからママのせいではないというのは理解しているのに、です。でも、やっぱりもっと身体を大切にしたらよかったのかなと後悔してしまいました。

夫に泣きついたところで赤ちゃんは帰ってきませんので、1人でその日は夜な夜な泣きました。夫は疲れたのか帰ってすぐに寝ていました。夫もショックだったと思いますが、「次頑張ろう」と言っていたので、気持ちの切り替えが早いです。やっぱり妊娠や出産は、男性より女性の方がはるかに心身ともにダメージが大きいのだと思います。

この流産という誰もどうもしようがない、悲しい気持ちを人に伝えることは難しいです。

流産する数日前に、流産する夢をみていた

私が、切迫流産と診断をうけたとき、いや、出血した時からすでに、流産するかもと思っていました。

それは、数日前、流産する夢を見たからです。お腹の中の赤ちゃんにバイバイする夢を見ました。エコーではまだ胎嚢だけで、胎芽すら見えていなかったけど、でもしっかりお腹の中で生きていた証拠なのだと思います。赤ちゃんが早めにお別れを夢の中で言いに来てくれたのかなと思いました。

でもやっぱりつらい

流産の経験は一生忘れることはできません。どうしようもない気持ちを抱えながら生きていくことだと思います。でも赤ちゃんが来てくれたことにはとても感謝しています。あらためて妊娠を継続して出産できるのは当たり前のことではない、奇跡何だと思います。

次回は流産後の生活についても書きたいと思います。




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