悲しみの黄金のレガシー感想

本を読み始めて数ページでこの作者は合わないと感じたら読むのをやめよう、その先面白いと思うことはないから。私にとっての黄金のレガシーのシナリオはこれでした。
それでも太古のヒカセンとしてなんとか最後まで辿り着き、このままでは「取り戻すのだ…憂いなきあの世界を」とゾディアークに願った古代人になりそうだったので、気持ちの整理をつけるためにこのノートを書くことにしました。黄金を楽しめた方はどうか読まないでくださると幸いです。

どうしてウクラマトを好きになれなかったのか


多種多様な種族が混在するトライヨラで暮らし、民にも愛されている。明るく前向きで多少向こうみずなところもあるが行動力がある。この設定で街の外にほぼ出たことがないのは無理がある。親しくなった住民から、故郷や旅先のまだ見ぬ料理や風習の話を聞く機会も多かったでしょう。
相手を知ることを好み相互理解しようとする性格も考慮すると、試練が始まるまでトライヨラの中のことしか知らなかったというのは不自然に思えます。
ゾラージャが武を磨き、コーナが留学に行っている間彼女はなにをしていたのでしょうか。
序盤に、自分は2人の兄と比べて武でも理でも劣る…と弱音を吐く場面があります。例えばそのセリフのあとに「だから誰よりもこの国で暮らすやつらに詳しくなろうと思って、たくさん調べて話を聞いてきたんだ!」と張り切ってくれたら彼女の印象は180度変わりましたし、実際に継承の試練で訪れた際に、その知識を生かして突破する場面が1つでもあればどんなにかよかったことか。
しかし実際の脚本は、何も知らない彼女が試練を突破するための茶番でしかなかった。
お料理対決ではフレと美味しんぼごっこしてました。このシャブルク・ピビルを作ったのは誰だ!

また相手のことを知って好きになろうとする、というウクラマトの性格設定に関しても疑問を覚えました。
ウクラマトが一度でも主人公や暁のことを知ろうとしたでしょうか?これまでどんな旅をしてきたのか、その旅で培ってきた暁のメンバーとの思い出や関係性は?
彼女は始終自分の話しかしなかったし、主人公は後方で腕組みをしながら頷き、中盤以降は肯定しか発言を許されなくなりました。序盤は「王の器ではない」「もっと精進して」といった選択肢の逃げ道があったのに、中盤以降どんどんなくなっちゃうんですよね。洗脳完了!みたいな
そしてそんなウクラマトを好きになれないままシナリオは進んでいき「手を握ってもいいか」「要職についてこれからもそばにいてほしい」「家族みたいに思ってる」などの発言が飛び出してきます。

シナリオとこの感情の温度差は致命的で、MMOにおける主人公=プレイヤーの構図が崩れたときこんなにも進めるのが苦痛になるのかと驚きました。
彼女の魅力を掘り下げるエピソードや会話がきっとあるはずだと前半を読み進めましたが、期待は裏切られました。戴冠式で姿も見せないゾラージャにフンムルクしか触れないのおかしいよ

家族

ウクラマトの家族発言についてもう少し掘り下げると、対比としてアルフィノが「血の繋がりはないが私にとって彼女は家族みたいなもの」とユールモアで何気なく言ってくれたことが思い出されます。
これ、めっちゃ嬉しくてじーんとしたんですよね。新生のアルフィノぼっちゃん時代からずっと傍で見守ってきて、頭はいいけど掲げる理想や志が高すぎるがゆえに自滅し、最終的に友を救える男になりたいんだ!とエスティニアンを助けることを最後まで諦めず主人公と共に彼を救い、それから先も一緒に歩んできました。
私にとってもアルフィノは弟のような存在になっていたので、それを言葉に出してくれたのがすごく嬉しかった。
これまでの旅で積み重なってきた会話や思い出がプレイヤーに自然とそう感じるものであって、このタイミングでそのやり取りを入れるシナリオには違和感しかありませんでした。
現時点ではウクラマトと家族になりたくないし、そう思われるのも心外です。

全てが舞台装置

本でもゲームでも、読み進めていると、このキャラクターはここで死ぬために登場させたんだな、と気づいてしまうことがあるかと思います。
主要メンバーをポンポン殺すわけにもいかないしある程度は仕方の無い部分ではありますが、黄金のレガシーではそれらがあまりにもあからさま過ぎ、シナリオでそれを見せないようにする努力を放棄していると感じました。
リビングメモリーでウクラマトにも感動シーンを入れたい→乳母と再会させてから別れさせよう→30年経過してもわかるように目印の腕輪が必要→印象つけるために荒野にも腕輪のシーン入れよう
実際の経緯はシナリオ担当者にしかわかりませんが、読み手にこう感じさせてしまった時点でストーリーとしてはおしまいではないでしょうか。

そんなシーンよりも、ナミーカから直接ウクラマトが小さい頃の思い出話を聞きたかった。ナミーカの手料理食べるときに主人公も呼んでくれて、ナミーカの作るトルティーヤは世界一なんだ!って褒められて、照れながら子供の頃からウクラマト様はこれが好きで…とかそんなんでほんとによかったんです。キャラクターが生きていると感じさせて欲しかった。というか私もチーちゃんのタコスとか現地のご飯食べたかった(;ω;)
彼女たちの絆に対しての掘り下げがないに等しいまま、ここ感動するとこです!をやられても何ひとつ心に響くものはなかったです。

ゾラージャの息子グラージャに関しても全く同じです。あの可愛らしい小さな生き物が出てきた瞬間に、この子はゾニキの感動エピソードで必要なパーツになるのねと予想し、そして実際ほぼその通りになりました。母親については自分の書きたいシーンに必要ないからと一才の描写をしない、そのあまりに潔い姿勢に感動すら覚えます。秘話で補完するつもりなのかもしれませんが、このようなシナリオの粗、描写不足や矛盾が気になって物語に入り込むことができませんでした。ストーリー展開に直接必要でない部分も適度に描写し、その上で表現したかった想いが伝わるように仕上げるのがプロの物書きなのではないでしょうか。

ちびマムについては納得できない描写が3つあります。
1つはゾラージャ討滅を終えたバックルームにて。父親を殺され、心を開いていたであろう機械兵のおじさんまで失い、もうつかれた…と部屋の隅にうずくまり涙を流していたちびマム。父親を今まさに手にかけてきた自分は、この子にかけるべきどんな言葉も持ち合わせない、そう思っていた矢先何故かウクラマトがいきなり泣き出し、あろうことかちびマムに「おねえちゃん大丈夫…?」と言わせたことです。
この場にいる誰よりも大丈夫ではないこんな年端もいかない子供に、どうして父親を殺した相手に大丈夫かと言わせたのか理解に苦しみました。 

2つ目は話が前後しますが、ゾラージャ討滅後「自分はなにも受け継げなかった」と泣くちびマムを抱きしめながらウクラマトが言った「青い鱗がある」というセリフです。ここほんとにわけがわからなかったです。今も書きながら考えてるけどやっぱりわけがわからない。

その後ちびマムをなんの相談や準備もなくトライヨラに連れ帰ることにも疑問を覚えました。これが3つ目です。加害者の子供に罪はないというのは正論でその通りです。ですがその正論を、ほんの数日前に家族友人を亡くしたばかりの遺族にぶつけるのはあまりに浅慮で思いやりに欠ける行為なのでは。
死んだ人は二度と戻ってきませんが、悲しみを受け入れ消化して進むには時間が必要ですし、月日が流れることで風化する怒りもあるはずです。
自分は受け入れることができたから、トライヨラのみんなも大丈夫!は軽率な行動に思えます。

ここに限らずトライヨラ襲撃の後、親が殺され絶望している女性に対してウクラマトの演説を聞くよう促したのも嫌悪感がありました。
トライヨラに住む人々を、舞台装置ではなく1人の人間として扱っていれば、このような導線には決してならないのではないでしょうか。

スフェーン

色々思うところはありますが、彼女はVチューバーアイドル(300歳)だと思い込めば割となんとかなりました。覚悟が足りなくても、掘り下げ少なくてもしょうがないよね、アイドルだから。

リビングメモリーとヤシュトラ

この話をする前に、ヤシュトラの好きなセリフを引用します。

「アルフィノの言うとおり、今さら表明すべき意思もないのだけれど…ひとつだけ、いつか話そうと思っていたことがあるのよ」
「あなた、エルピスでは、当時の人と違っているという理由で使い魔として見られていたのでしょう」
「でも、思い出して…第一世界の幻影のアーモロートで出会った影たちは、私たちのことを人のこどもだと認識していたわ」
「そう…かろうじて、人という枠に入れられていたのよ。未熟で未完成、つたなくて弱い、子どもだとしてもね」
「その差は、幻影を創造したものの、認識の差に他ならない。エメトセルクは、長い時間を新生した人と共に過ごし、やっとそれだけ…不本意だとしても認めたのではなくて?」
「私はね、こういうことをもっと知りたい。この命が尽きるまで、ひとつでも多く、少しでも深くね。だから…ええ、ここで消える気はなくってよ」

このセリフは暁月のフィナーレのレムナント突入前に話しかけると聞けるものです。私はヤシュトラのこの言葉にとても共感し、彼女のただ知りたいという純粋な思いに心をうたれました。
だからこそ、リビングメモリー突入の際、扉防衛の役目を担って待機すると言った彼女に驚き動揺しました。ぼくが知ってるヤシュトラじゃない…!一歩踏み出したすぐ先に未知の鏡像世界、永久人なる未知のシステムがあるというのに、彼女が行かないはずがない。なんか絶対ウクラマト行かなきゃいけない雰囲気だったけどその必要あった?
黄金のレガシー全体に言えることですが、シナリオの都合で良いように連れてこられ個性を消されたNPCにさせるくらいならば、暁を誰も出さないで欲しかった。いきなりアイス食べ出したグラハも研いでいないナイフになったアリゼーもそうです。唯一被害をうけなかったのはサボテン食べてた竜騎士くらい。

永久人


永久人を生命として扱うのか?ここは人によって判断が分かれるところでしょうし、グラハが言うようにシステムとして破綻している、というのもわかります。

保管されている記憶からその人物を再現したメモリーだったとしても、目の前で思考し喜び涙を流す彼らを命ないものだとはどうしても思えませんでした。喜怒哀楽と自らの意思があり、それを言葉にして伝えることができ、他者との対話から得たもので成長していく、このようなAIがいつか誕生したときそれを生命ではないと思えるでしょうか?
永久人を命である、と受け止めた人に対して、シャットダウンは彼らを殺すことを強制されるのと同義でした。
いずれ自滅するシステムであり、最終的にシャットダウンするしかない、という結論にいたることは理解できます。ですが、ゴンドラデートしたり演劇してみたりアイス食べたり散々はしゃいでからはいじゃあシャットダウン。
楽しい思い出を作ったね、じゃあ全員殺してね、とも受け取れるこのシナリオを書いた方の感性とはやはり相容れないという気持ちが確信に変わりました。

結果が変わらなかったとしても、私はもっと抗いたかった。ヤシュトラに意見を聞きたかった。カフキワとエレンヴィルを2人きりにしてあげたかった。
シナリオは目を滑っていくばかりで、こんなみじめで悲しい気持ちで楽しみにしていた拡張の最終エリアを進むしかないことに涙がでました。

FF9の扱い

FF9に関しては好きな作品ではあるのですが、若いころに遊んだきりで記憶が曖昧な部分もありなんとも言及しにくいです。ですが、FF9と言う作品を愛し思い入れがあり、だからこそこのような形でFF14の世界に落とし込まれたことを深く悲しんでいる方のノートを拝見する限り、もっと別の使い方、または登場させないという選択肢はなかったのかと考えずにはいられません。

過去にもFF9のビビをモチーフとした事件屋のギギがいましたが、自分の周りでこのシナリオはウケが良く何度も話題にして盛り上がったし自分も大好きです。
これは単純に笑いあり涙ありでシナリオの出来がよかったのもありますが、元ネタとなっているビビへの愛が感じられたからではないでしょうか。命とはなんなのか、自分は一体なにものなのか、何のために生きるのか。ビビが探したものをギギもまた探して、自分なりの答えを見つけます。イディルシャイアに立ち寄るときはたまにギギが壁に書いた家族の絵を見に行きますし、またいつか会えるといいなと思います。
荒廃したアレクサンドリア城下町を見てそのような温かい気持ちになることは、とてもできそうにありません。

最後に

声優さんの演技は素晴らしいものでした。全く気持ちがついていけないまま始まった最後のIDも討滅戦も、もうどうでもいい…と思いかけていた自分の心を揺さぶりFF14の世界に連れ戻してくれました。ウクラマトお立ち台事件は許せないけどよ!
自分に合わなかったと感じたのはメインシナリオだけです。
サブクエストではワチュメキやモロコシ様など、しっかりと心に残るものがありました。
またノートを通して似た気持ちを抱えている人がいると知れたことも救いになりました。FF14が好きだからこそ、固定にもフレにもFCにも誰にも言えないやるせなさを共有できた気がしました。拙い文章でしたが、同じ心境でここまで読んでくださった方がいたら、ありがとう。

モロコシ様

黄金のレガシーで1番心に残ったモロコシ様のセリフで終わります🌽モロコシ様の加護があらんことを

ヒトは誰でも、生まれてきたんなら、幸せにならなきゃいけん。
じゃけぇ、ようけモロコシ食って、腹も心も満たして欲しいんじゃ。

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