仏教辞典

諦めの境地に立っている。

「失望を諦めに変えるのをやめよう」

相棒がシェアしたことばに、ふと考える。

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攻撃するのは簡単。

自分、許容範囲はかなり広いと思っている。

体調不良の原因も知らない。

それでも、動けないものは仕方がない。

そこは理解する。

自分もそうだから。

原因は知らせてほしいとは思うが、それも"できないこと"なのだろうと、解釈している。

▪️

攻撃することにより、さらに悪化することは目に見えている。

それだけは避けたい。

今は静かに体調が戻ってくることを待つしかないと思っている。

お大事に。

それしか言えない。

それも、冷たいと捉えられるかもしれないと思うと、鬱々とする。

▪️

こちらが病んでいては話にならない。

手放すことを考えもする。

勉強会への参加も依頼していたのだが、リストから外してもらった。

一緒に何かを構築することは、もうできない。

▪️

期待した自分が悪い。

夜遅くに代講が決定しても、授業の準備は間に合わない。

しかも、新しいテキスト。

もう、徹夜ができる体ではないのだ。

外回りは明日にして、銀行は学校長にお願いしよう。

一気に仕上げておかなければ、次はいつ準備する時間が取れるかわからないからね。

▪️

ギリギリだわ。

期待した自分が悪いんだけど。

「諦めの境地」を検索すると、仏教辞典にヒットした。

・できることとできないこと
・なれるものとなれないもの
・かなうこととかなわないこと
を正しく区別する智慧。

我が事であれば、問題はない。

かなりの確率で諸々手放していると思っている。

ところが、いかんせん他人のこと。

こうして考えていることさえも、執着なのかもしれない。

▪️

仕事として割り切るのであれば切る一択。

そもそも、自分がなんとかしようと思うこと自体が間違えている。

だけどね。

これ、他では無理よ。

どうにかして双方に上手くいく方法を探している。

でも、出て来れなくちゃね。

施しようがない。

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