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一番かっこいい葬式

何かを信仰したり、崇拝したり、盲信すること、もっと簡単に言えば何かを信じること、何かを信用することが出来るだろうか。

急に何小難しいことをと思うかもしれないがそうではなく、生活の話である。

思えば小学生のときにはすでにインターネットが一般家庭にも普及し、自分が情報を得るツールの一つとして当時も今も当たり前にそこにある。
スマートフォンが普及したのがここ十数年くらいでPCを使わなくてもインターネットが使えるのも当たり前になった。

インターネットを使える人が情強と言われるような時代は終わり、インターネットを使える人がパソコンくんといじめられなくもなり、誰でも平等に当たり前にインターネットから情報を手に入れられるのである。

だがしかし。

じゃあそれを何を根拠になぜ正しい情報だと判断出来るのか。
自分が何らかの有識者や知識人ではない限り「信じる」ことが情報の正否の判断なのだと僕は思う。
SNSなどで親が急にネトウヨ(パヨク)になったみたいな話を聞くが、なんだかわかる話というか恐らくインターネットに急に触れたまあまあ高齢の方だと情報の過激さ、センセーショナルさにそうなってしまうのも合点がいく。
もちろんその情報が間違っているかどうかの判断は各々に委ねられるわけだが。

政治的な話を持ち出したが、それに限らず「食べ物の効能」や「運動によるメリット」や「芸能人のスキャンダル」等もそれに含まれるだろう。
食べ物とか運動どうこうはもちろん信じるに足る情報が多いとは思うがただバズりたいだけとかフェイク情報もあるのは想像に容易い。
薄毛とかは多くの男性が気にしていることなのでこういうとこに付け込んだりとかな!!!!


というわけで僕は何かをあまり信用していない。
人間がクッションとして介されたものは大体嘘だと思うようにしているし、人間のこともあまり信用しない。

信用しないというと語弊があるかもしれないが期待しない? 違うな、理想を抱かない? くらいかも。

ART-SCHOOLでも木下理樹が「信じることはさぁ 裏切られるよりも 苦しいなんてねぇ 知らないでいたかった」って歌ってる。
 
斉藤和義も「君の顔が好きだ 性格なんてものは僕の頭で 勝手に作りあげりゃいい」って歌ってる。

そういう意味ではやっぱりロックンロールは信じているな。
僕の神様はレコードの中にいるんですわ、やっぱり。

マルチにハマった友達はもともと特定の宗教を家族で信仰していて、今思えばだけれど割と融通が効かないところがあるというか、「そういう考え方もあるよね」ってようなことを許容出来なかったりとか、ちょっと怪しめのトレーニングとかしていたなあと。

何かを信じるって下地があるとそうなってしまうのかもしれない。
ただ世界的に見れば何らかの宗教を信仰しているのが当たり前なので、そこに幸せを感じたりしているのであれば否定できることではもちろん無いけれどもね。
僕がいくらセプテンバー・パンク・チルドレンと言えどアンチブッダ、アンチキリストを現代社会で声高に叫べるわけがない。


この文章どうまとめる?
また食べ物の話でお茶濁します?

これは実体験なので僕という人間のパーソナリティな部分を信用できるのであれば十分【情報】として価値があるのですが、最近昼飯のパンが一つでは足りない気がしているし、二つ食べようが一つだけだろうが眠くなるときは眠くなるし、かなり半信半疑でラムネ食べて仕事してるけれど集中出来たり、眠くなくなったりしているのかはわからないし、眠気覚ましになるかなって思ってモンスター飲むとおしっこの回数が増える。

最後に超マル秘情報。
モンスターファームで「The Birthday」「KIKI The Pixy」を読み込まるとなんと【ピクシー】が生まれます。


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