【まほやく】超個人的なファウスト観

こんにちは。2ツイート分くらいの文量(約300字)でちょっと思ったことをしたためようと思っていたのですが、結果的に出来上がったものが29ツイート分くらいの文量(約4000字)になりまして…
せっかくなのでこちらに投稿しようと思います。

※この記事には超個人的な、あくまで現状の、ファウスト観(最後の方にはフィガロ観も)が含まれます。解釈が合わない際には「わかってねーな!」という台詞と共にそっとブラウザを閉じて頂けると幸いです。

ファウストは一見すごくわかりやすいキャラに見えて、その内実はなかなか考察の余地のある深いキャラだと思っている。

有体に言えば彼は『闇落ちキャラ』に見えるだろうけれど、その実、本当に闇落ちするには必要な要素を持っていない『ポーズだけの闇落ち』キャラであり、『偽悪者』なのである。

闇落ちするには、今まで悪だと思っていたものに己の正義を見出す必要がある。
世間的に悪とされているか否かはそこまで問題じゃない。自分の心が、今まで悪だと思っていた側に価値を認めることをきっかけとし、必然的に今までの価値観が崩壊してしまうことで自分も悪側になるのである。
大事なのは、きっかけがどんな状況であれ、今までの自分(アイデンティティ)を壊してしまう/壊れてしまう という経験にある。

しかしファウストは、自分を壊すことができていない。

魔道具からも察せられるが、ファは本来自責の念が強い性質なのだと思う。うまくいかなかったことがあったときや心がもやもやしたとき、その原因を自分に探して己を顧みてきたのだろう。
しかしここで重要なのが、行ってきたことは自己否定ではなく反省であったことだ。
きっと自責の念と同じくらい、『潔白でありたい』意思も強かったのだと思う。理想の自分になるために、しらみつぶしに自分の非を潰し、言動に反映させてきた。
理想の自分を目指し、強くそれを願い続けられるほどには、彼の自己肯定感は低くなかった。

そう、低くなかった。低くないのだ。
恐らく、人並みかそれ以上はある。時に無力さを強く痛感するようなことがあっても、アイデンティティを損なうラインを超えるほどの低さにはならなかっただろう。
何故なら、自分に嘘をつかず、自分ができることはやってきているという自負があるから。毎晩毎晩、それを裏付けることを、真正直にこなしてきていたから。

始まりは自責だったのかもしれない。しかしそれすらも、自分を肯定したかったからなのだと思う。理想の自分になりたかったから。いざという時に、頼れる自分でありたいから。

ファウストは恐らく、あらゆる物事の基準が己なのだと思う。
誰かに誠実でありたいと思うとき、それはその人に誠実になれない自分が許せないからで、誰かに優しくありたいと思うとき、それはその人に優しく在れる自分でいたいからなのだと思う。

数多の夜の自責は、いつしか強固なホームポジションを築き上げて、一種の安全地帯にすらなっているのではないだろうか。
自分を見つめ直し、少しの過ちも見逃さずに生きてきた自負は、いつしか、自分を許せる自分は間違っていないという安心や自信にも変容していた。
そしてそれは、人を導く指導者にはまさにうってつけの能力だったに違いない。


しかし、それは真っ向から裏切られた。


自分が裏切られた時、自己肯定感や相手への対応の納得度によって反応は大きく変わる。
自分が何かしてしまったのだ、と自分に責任の所在を探すのか。それとも、裏切った相手に責任を見出すのか。
ファウストの場合は、圧倒的に後者だ。ずっと、アレクや人間たちに恨みの矢印を向け続けている。
何故なら、自責はとうの昔からずっとやってきて一つずつ潰してきたから。自分がそれだけ相手に誠実に生きてきたという自信があるから。それこそ最後の最後まで。
だから「アレクは変わってしまったのだ」とも「人間は狡猾で残酷にもなれる」とも言える。

ただそれは人間側への話で。
軍の魔法使いたちに対しては、大勢亡くなった原因が自分にあるとファウストは思っているらしい。
彼の中では、指導者の責任の中に彼らの人生の末路までもが入っていることになっている。
客観的な視点で見れば、彼らのことの顛末の全てをファウストが負う必要も責任もない。彼らの末路を決して良しとは思わないだろうし、同胞として悼む気持ちも大いにあるだろうが、しかしそれでも、魔法使いを見限りひどい仕打ちをしたのは人間側であり、ファウストではないからだ。そして彼はきっと魔法使いたちにだって誠実に、信頼に足る存在になろうと努力してきたはずだ。反省しても反省すべき点はみつからないと思われる。
それでもファウストは、自分に責任があると思っている。
何故なら彼の心がそう思ったから。
彼の視点はどこまでも主観なのだ。ファウストはきっと、信じてついてきてくれた彼らを良い方向に導ける指導者でありたかったのだと思う。それが彼の理想の自分だったのだろう。
だから自責が生まれる。理想の自分との乖離に直面したとき、彼は自責して理想の自分に近づけるように努力してきた。そういう人だった。
しかしその自責は次に生かせない。次は無いのである。
永遠に、なりたかった理想の自分は失われた。

ファウストの心の傷の源泉は、きっとここにある。

深い悲しみや、今までの対処法ではどうにもできない苦しみを、ファウストは抱え続けている。
そしてその莫大な負の感情を、闇落ちして爆発させることはファウストにはできないのである。
何故なら今までの生き様が真逆だからだ。
ファウストは悪に正義を見出すことがなかったからこうなっていて、そうなるかもしれなかった自分をずっと正そうとしてきた。そして何より、自分を見失うような生き方をしてこなかった。
ファウストは、フィガロの言葉を借りるならば『絶望の中でも自分を律せる』男なのだ。だから自分がやってきたことが間違ってなかったという確信も、律してきた実績もある。その結果の絶望であるにも関わらず、それでもファウストは自分を見失えない。それは彼のアイデンティティの範囲外であり、基本設計にないのである。
だから、自分で自分を壊すこともなければ、それゆえに恨みや呪いが自分を壊すこともない。
闇落ちすらできないのに、壊すことができない今の自分は、理想の自分を失った価値のない自分なのだ。
そしてそれは、今まで通りの方法では埋められない永遠のギャップとなって苦しみを生み出し続けている。

深い悲しみや、今までの対処法ではどうにもできない苦しみを、ファウストは爆発させることもできずに持て余した。
その負のエネルギーをどうにかいなそうとして取った自己防衛の手段が、『価値のない自分になりたい』だったのではないだろうか。
乖離に耐えらなかった彼は、自分を価値のない自分に寄せることで、バランスをとろうとしたのだろう。
価値の無い自分———つまり『陰気な呪い屋』になってしまえば、なりたかった理想など存在しない。ギャップが生む苦しみを逃すことができる。

彼の現在の在り方の本質は、『偽悪』なのだ。
本人や彼を知らぬ人は、闇落ちしたのだと安易に思ってしまうかもしれない。しかし彼のそれは闇落ちしたゆえの変化ではなく、むしろ闇落ちできなかったがゆえの、入りたい器の形のアピールでしかない。
本当に闇落ちしたのならば、アピールなど必要ない。自然にそれ相応の見た目や言動に寄るだろう。しかし彼には形から入っているためにアピールが必要なのだ。何故ならそれは『偽』の『悪』だから。そうでなければ、彼はまた苦しみの渦中の自分に戻ってしまうかもしれないから。

ギャップを埋めるという意味では、今までの取ってきた手段に近しいのかもしれない。どこまで行ってもファウストはファウストでしかないと考えれば、無意識にでも取った自己防衛が自分のそれでしかないのは皮肉と言えるのかもしれない。


さて。
ファウストは、あらゆる物事の基準が己なのだろうと語った。自分の立ち位置を常に意識し続けている生き方をしてきたからこそ、自分視点で物事を見る傾向にあると。
そしてこれと相性が悪いと思われるのが、彼の元師匠である。

フィガロは、物事の基準を基本的に『みんな』に設定している。そのため、みんな———つまり神視点で物事を判断するために必要な客観視を得意としているしその判断はとても速い。
しかし一方で、他人の主観的な感情が絡んだ事象をその人のホームポジションから捉え直すことは苦手としていそうである。彼が他人の主観的な視点に目を向けていると思っている時、それは正しくは主観的でも何でもなくて、他人の主観的な感情を、客観的に分析しているに過ぎない。
そしてその苦手の原因は、彼自身の主観的な感情を『諦観』でいなす節があるからのように思える。
そんな彼が、長い人生の中でも数少ない主観的な感情を抱いているのが元弟子なのだ。

物事を判断するときの立ち位置がどこまでも己のホームポジションであるファウストと、主観的感情に疎いフィガロ。
ファウストは己のホームポジションから見える価値観でしか物事を判断できないため、フィガロに対する誠実さとは無関係な場所にあるフィガロの考えを『察する』ことができない。フィガロはファウストに対する主観的感情を『諦め』がちで、ファウストに対してまともに応じない上にお得意の客観視のスキルすら発動しない。
相性が悪すぎる。これでは交わりそうなものも交わらない。永遠に平行線。いや、ねじれの位置。
この二人がどうにかなるためには、
・ファウストが『価値のない自分のポーズ』をやめた上でホームポジションを離れ、自分に非がないことを承知でフィガロの機微を理解する。そしてそれを許す。
・フィガロが諦めずに彼を繋ぎとめようと努力する。そしてファウストが誠実でありたいと思えるような存在になる
の実績を達成しなければならない。しかしいずれにせよ、それぞれのアイデンティティに根を張っている性質が深く関係しているため、並大抵のことでは揺らがないだろう。

箱推しとはいえ、始まりの門は元師弟の身としては、なかなか辛い結論を導き出してしまった;;
今後のストーリーで、いったい彼らがどうやって殻を破っていくのか(破っていくのか?本当に?)、とても興味深い。と同時に怖い。

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