黄昏時の器

グレーベースの部屋の中で唯一色がついているように見えるほど存在感を放つ器がある。
淡いグラデーションに薄藤色の色をまとった「浮世」の器は小松市、錦山窯の吉田るみこ氏の作。

訪れるお客様の中には、この器がどうしても忘れられず、同じの風合いのグラデーションネイルを施して再来館してくれた方がいるほど、人を引き付ける魅力を持っている。

私は研修時に「雨上がりの夕焼け空をイメージしている」とだけ教えているが、「浮世」と名付けられた意味にもぜひ注目してほしい。

浮世とは、常世(とこよ)や幽世(かくりよ)というイメージがあるが、その逆で、現世(うつしよ)のこと、つまりこの世界のことである。
「浮世離れ」の意味が世間の常識から離れた言動や事柄のことを意味していることを考えればわかりやすいかなと思う。

この「浮世」という名前の由来について、吉田るみこ氏は次のように述べている。

工房からギャラリーへ急ぐ道すがらに眼前に広がる夕焼け空、湿り気のある空気の中で淡く彩られるグラデーション。朝から昼、昼から夜へと移ろう光の美しさ。今まで何度も目にしたことのあるはずの光景にも関わらず、改めて切り取られることで気づくその美しさにインスピレーションを得て、デザインされたのが「浮世」シリーズだった。浮世離れしていながら浮世でもあるというその二面性を名前に閉じ込めた。

香林居の本より

浮世という言葉は、古くは「憂き世」と書き、辛く苦しいこの世の中、つまり、日頃の仕事や生活に追われている日常の有様を表したことが語源だそうだ。

浮世離れしていながら浮世である、という意味を持つこの作品は「殺伐とした現実世界の中で、安寧をもたらすかりそめの理想郷」である香林居という場所において世界観を深める重要な意味合いをもつ装置であり、心の理想郷に思いを馳せる扉のように感じる。

昼と夜の間の時を、日本人は古くから、逢魔が時や黄昏時などと呼んできた。さまざまな解釈や理由はあれど、結局あの淡く、移りゆく夕焼けの空の美しさにこそ、浮世でありながら浮世でない世界とつながる瞬間を見出してきたのだろうと私は思う。

この場所で、そして「浮世」を購入し、連れて帰ってくれた皆様が、黄昏時を閉じ込めたこの作品に触れ、愛でる瞬間に、ひとときの心の安寧がもたらされることを願うばかりだ。



ちなみに私が浮世を好きになったきっかけは、とある心配だったアルバイトがロープレ試験で「この夕焼け空をイメージした茶器、すっっっごいロマンチックですよね!!」と紹介してくれたからだ。


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