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Zeroと私の10年間


“Because I knew you, I have been changed for good”
 

これは私が好きな歌の一節ですが、Fate/Zeroと出会った事は私がchanged for goodした一番の出来事かも知れません。 

 ついに歳がバレますが10年前というと大学生活も終わろうとしている頃でした。
長年オタクやってきたけど私の母校は結構キラキラ系の大学で、そういう雰囲気の中で過ごしていると人は少しずつ脱オタしていくもので、私もこのままイケてるJDでキャンパスライフを終えようと思い始めた矢先、
弟(オタク)がいまめちゃくちゃ面白いアニメがやっているから見ろと言ってきた。

それがFate/Zeroでした。

ただその時はFateって前に見てたけど(DEENのやつね)なんかピンと来なかったしなぁ〜くらいで流していたんだけど、ある日たまたまザッピングしていたらやたら絵が綺麗なアニメがやっていて、絵の綺麗さもさることながら台詞のかっこよさが気になってつい手が止まり、話の前後とか全然わかんないのに、会話の内容に引き込まれて結局最後まで見てしまったんですよね。



それがFate/Zero 第12話でした。あの、永遠にギルガメッシュと綺礼さんが喋ってる回です。
我ながら全25話の中、よりによってコアな回を引き当てたなと思いますが、その只ならぬオーラにこれは確かに面白いのかも知れない…とぼんやり思ったのでした。

 そこからは早かった。丁度クリスマスに第一クール最終回を迎え、翌年明けすぐに一挙放送が確かあったんですよね。
そこで初めてちゃんと見て、ビビりました。なんだこりゃ、世の中にこんな面白いアニメがあるんか、と。
  
(時効だと思うから白状するけど違法アップロードサイトとかで見逃したエピソードとか補完してたりしてね、当時はそういう時代だったのです。) 

 で、気付いたらめちゃくちゃハマった。
もう四六時中Zeroの事しか考えられなくなるくらいそれは見事な沼への着水でした。 
 
  
そして同年春から始まった第二クール。先行上映会のライビュになぜかわざわざ行きにくい駅の映画館を選んで見に行くなどこの辺りから行動がだいぶ狂っていくんだけど、とにかく毎日が楽しかった。 
 
毎週土曜日が待ち遠しくて、同じタイミングで着水した友達と語り合い、また土曜日を待つ… 
 
夢のような日々を生きていました。  
それは私にとって大学最後の一年の始まりでもありましたが、脱オタなんかするより100倍楽しい人生がそこにはありました。 
 
回を追う毎に深刻になる物語に涙し、推しが死ねば友達と慰め合い、これ終わったあとどうやって生きていこうねなんて話しながら、最終回見た後は泣き過ぎて過呼吸になるという… 

 放送終了直後の聖杯戦争展にももちろん行きました。展示にいちいち感激し、良すぎて爆速で2周したのは昨日のことみたいに覚えてます。

コラボカフェにもそれはそれは通いました。
「コラボカフェ」という文化自体当時かなり斬新で、ufotableが始めたのが最初なんじゃないのかな?  
斬新すぎてシステムがよくわかっておらず友達みんなで行ってみたら思いっきり定休日とかいう椿事も起きました。  
Blu-rayBOXのクソでかい箱を店舗から1時間かけて電車で持ち帰ったりもして。そんな事もいちいち楽しかった。  
あと個人的にカフェに通うことで高円寺という街が好きになりました。いま私の将来の夢は高円寺に住む事です。 

 大学生活の最後、卒業旅行と称して、友達と神戸に聖地巡礼に行きました。
あの橋の下でOPや本編と完全に一致する角度とポーズを探して写真撮ったりして。行った事ある人はわかると思うけどあの下微妙に公園ぽくなってるじゃないですか、あそこに3時間くらいいたりね。観光しろよっていう。



本当に、Zeroに関わることがいちいち楽しかったんです。


そうこうしている内に私は社会人になって、あの幸せな日々が嘘みたいに人生が過酷になりました。 
 
激務と職場の人間関係で早々にメンタル疾患になり、毎日、明日死のう明日死のうと思いながらなんとか生きていたのは、やっぱりZeroがまだそこにあったからだった。  
 すごく幸いな事にコラボカフェ企画が折に触れ復活してくれたり新企画が開催されたりで、放送終了後も長いことZeroは続いてくれていたのです。 
 
そのお陰で、カフェがあるから、ダイニングがあるから、と、私はなんとか命を繋いでこられました。
  
死にたくて仕方ない時も彼らの物語とその生き様を思うと、強い気持ちが胸の底に湧いて来るのでした。大袈裟に聞こえるかも知れないけど、本当にそんな感じだったんです。 

 たぶん、Zeroを知らなければ私はあの時さっさと自殺していたでしょう。 

 その後環境が変わりなんとか持ち直した後も、本当に幸いな事にZeroは続いていてくれました。 
 
マチアソビに行き始めたのもこの頃かな。 
 
まさか自分が徳島に行ったりコスプレしたりなんて想像もできなかった。  
沢山の人と交流できて、新しい世界を知りました。 
 
徳島があんなに良いところだとも知らなかった。  
短い旅程の中シネマに通ってど深夜にホテルに帰ったり、やばい量のグッズを爆買いしたり、アイリスフィールのコスプレ姿で近藤社長とお話しさせて頂くというミラクル(!)が起きたり。 

バレンタインや誕生日に推しにプレゼントを贈るというのも生まれて初めてやりました。私の推しは貴族なので安い物は贈れぬと百貨店でめちゃくちゃ真剣に悩んでめちゃくちゃ真剣な手紙を添えて送り状に書かれた思いっきり二次元の名前(アルファベット)を郵便局のおっちゃんに見られながら杉並区のアニメスタジオへ発送される高級チョコレート…。

そんな推しのまさかのバースデーイベントなんかが起きたりしてさ、私、花束抱えて行ったからね新宿のダイニングまで。千葉から。超お洒落して。電車乗って。

その他書ききれないくらい色んなことがありました。
全部Zeroが引き合わせてくれた幸せです。 
 
そうだ、小倉のカフェにまで遠征した事もあったな。
本当、Zeroが絡むと疾風の如くどこへでも行き何でもしていたんだなぁ。

 そんなこんなでこの10年間はずっとZeroに支えられてここまで来られました。  

私という人間は元来ネガティブで精神的に弱くて、あまり生きることに積極的になれません。 
 
去年からはコロナ禍の社会的混乱ににまんまと飲まれた事でまた心が不安定な状態にあるのも事実です。 
 
こんなに弱い私が本当にギリギリ死なずに生きてきた10年。  
それは全てZeroと、更に言えばZeroを通して私と関わってくれた人たち全てのお陰です。 
 
そんな大切な人たちとも今は会えず、繋がりも徐々に薄くなってしまっている事が寂しくて仕方ありません。
こんな文章をどれだけの人が読んでくれているかわからないけど、心の底から感謝の思いで一杯です。本当にありがとうございます。 

 そしてZeroを作ってくれた全ての方々、あなた方の作り出した芸術は、ひとりのオタクの命を救って下さいました。きっとこれ以上の作品に出会うことは生涯ありません。
一生の宝物に出逢わせてくれたこと、どんな言葉を尽くしても足りないくらい感謝しています。

 “Because I knew you, I have been changed for good” 

 今また辛い時期になってしまい、生きる自信が薄れているけど、私の人生はZeroによって確かに良い方向に変わりました。 
 
いま生きている。  
それはZeroに出会っていなければあり得なかったことで、ひとつのアニメーションが人の生き死にを左右する事があるというのが、我がことながらすごい事だなと思います。  
そして、こんな自分の中に実に10年間燃え続ける炎があることが、決して出来た人間とは言えない私でも、こんな激情を抱ける人間ではあったという事実が、脆い心と身体をなんとかこの世界に繋ぎ止めてくれているのです。 

 一生の宝物。 
 
聖杯より輝く私の大切な大切な宝石。   
 
大好きな人たち、懐かしい人たち。
  
誰よりも愛するあなた。
  
この愛はいつまでも消えません。

 Fate/Zero、10周年、心からおめでとうございます。


P.S.推しの名前は恥ずかしいので具体的に書きませんでしたが察して下さい。そうですその人で合ってます。

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