見出し画像

残らないということ

私の父が言うには、彼が大学生のころ、知らないうちに建てられた仮設の舞台でゲリラの様に演劇が行われていたことがあったらしい。
内容もさるとこながら、役者と観客の熱気や土埃なんかでむせかえるような雰囲気だったらしい。
めちゃくちゃで、大掛かりで、一寸の狂いもない、どうやらとんでもなくおもしろいものが見られたらしい。

両親は新婚旅行にパリへ行き、色々な素晴らしいものを見聞きしたらしい。特に、お菓子が日本とは比べ物にならないほどおいしかったらしい。バターのにおいが別物だったらしい。そして、現地のおばちゃんは若い女性には厳しかったらしい。

私の祖母は女子大の寮に入っていて、監視を掻い潜ってダンスパーティーに行ったりしたことがあったらしい。本当は禁止されていたけれど、朝ごはんのパンを誰かの部屋でこっそり焼いて食べることがあったらしい。

祖母の親戚には将校さんがいて、とてもハンサムで有名だったらしい。白馬に乗って出歩いていたらしい。

私は人の思い出話を聞くことが大好きだ。さまざまな記憶が切り取られ、多少の脚色と本人のめがねを通すことによって更にすてきな思い出というものに生まれ変わっている。
もしかすると、私は思い出話を小説だとか童話の感覚で聞いているのかもしれない。

父が大学の頃見たという掘っ建てテントでの演劇の話をするたび、母はあの舞台はきたなかったとか、面白いけど人が多すぎて嫌だったとか、そういって情景を補足してくれる。

私が聞いた思い出たちがどこまで本当かは、誰にもわからない。その思い出が真実かどうかなんて、乱暴な言い方をすれば、私にはどうでも良いのだ。ある人にとっては美しい記憶で、ある人にとっては思い出したくもない記憶で、だから素敵なんだと思う。
ただ、知らない時代の知らない記憶は、何となく上滑りして、私には受け止めきれていないような気がしてしまう。地図を見て、写真を見て、歴史を学んで、それでも多分、そこにいて経験した人々とは同じふうに話を聞けない、と勝手に思っている。そして私はいつも悔しさを感じる。

私が感じた、緑の皮のソファーに体温が伝わっていく感覚、絵本の手触りと焼けた紙のにおい、埃っぽい更衣室にさす西陽、歌声が泣きたくなるほど不思議に響いている様、不安の渦から出られないときの心臓の寒さ、笑いがとまらないくらい嬉しくて幸せな気持ち、これらも私の中にしか無いものたちだと思う。全て私が勝手に思ったことであり、考えたことであり、偏った情報だとも言える。偏っている部分だけなのに、話して全てを伝えられるものでも無いし、私なんかが持ち合わせている言葉で言い表すことができるとも思えない。

いっそ過去に戻ってみたい!思い出話の数々を、その時代を、私も一緒になって体験したい!音を、匂いを、光を、温度や湿度を、嫌な部分もすてきな部分もすべて感じとって、経験して。そうして私もその記憶の輪に混ざりたい。

そう言うと、いつか授業で聞いた話が頭をよぎる。
私みたいな人間にとっても、様々な人たちにとっても、世界は、少なくとも日本はだんだんと生きやすくなっている。
らしい。
辛い目にあいたいとかいう訳ではなく、生きづらいのは捉え方の問題だろうとか言いたい訳でもなく、ただ私がそこにいなかったからこういう言い方になっているだけ。

過去に戻ることは叶わないし、この時代を過去そうであったかたちに戻したいとも思わない。

楽しかった記憶、苦しかった記憶、私がどれだけ願っても同じように知ることがかなわない、妬ましいほど貴重で大切な記憶たち。

どうか、あなたさえ良いならば、私にも分けてください。

そう思いながら、私は思い出に耳を傾けています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?