ヒラサワススムと月の考察
平沢進が近づいてくる・・・師の音楽が足音をたてて私に近づく時、それは広々とした深海の投獄者が、まるで世界を呑込むかのような異空を泳ぎ出す錯覚を呼び寄せる。彼の曲は死海そのもの。寄せてくるオカルティストたちの先鋭的感覚が科学に導かれ、意図的に「ノロイ」を完成させる合図だ。わたしはその予言を彼の足音を聴いて間接的にキャッチしているのかもしれない。(極限妄想)
月が狂気を呼び寄せる。一昨日から月についてじっと考察しているが、久しぶりに細心の注意(敬意)を払って古代人が残した遺物(月)を考察している。私は無差別になんでもかんでも自分に流し込む性質があるので、一歩間違えば人格が豆腐のようになる可能性が否めない。
計量器でエネルギーの重さをはかるように、自分に流れ込んでくるものを捕まえていちいちリーディングしながら「入ってよし」「いまはだめ」「ちょっと別の部屋にいこうか」って感じで脳内に警備員配置しながら考察しているのである。
月の脅威が平沢進の音楽とどう関係があるのか。ひとつ「あ、これかも」と感じたのは、平沢進の名前のゲマトリア。興味本位でやってみた時に”神の言葉”という意味が出てきて「つまりは予言・・・🤔!」となったのだ。平沢進はわたしにとっての黙示録である。知らんけど。
今日の月は、月齢29。
月の暦最終日。
禍々しい雰囲気とマッチする光のない月。
ジョーティシュ(インド占星術)では欠けゆく月は凶意を持つ。
仮定として、月齢29(以下29)が平沢進の異様な曲を選ばせているとしよう。29は今敏のパプリカを平沢進の曲とともに引き寄せる。29は平沢進を通じてわたしにAriaを送り込む。29は科学的でオカルティックな、それでいて懐古な、月の民を侮蔑する者たちを呪うかのごときエナジーを送り付けていることは間違えない。29は恐怖を、不安を、狂気と絶望を片手に、スピリチュアルの楽園へ向き合おうとする聖者たちの意志を狂わせる。狂わされたものは堕ちていく。どこまでも深く、欲望と快楽の底へ。そしてカルト化する己に気づかぬまま殺戮の楽園へと導かれていく。
昨日の朝、電車に揺られながら降りてきたのはナフシャだった。彼は相変わらずの耽美で冷徹な表情に微笑を浮かべ、わたしに話しかけてきた。インドラやナフシャは私にとって安心感がある存在。話していると落ちつく。彼は月齢たちについて、あまり急がず丁寧に接するのが良いとアドバイスをくれた。
もとより、わたしと月の暦の間には、オブラートのようでいて強固な仕切りがあり、すいすいとリーディングするのは難しいと感じていた。ナフシャのアドバイスに感謝して事をすすめようと思っている。
ナクシャトラを理解するために月の暦を本質から読み取る。すでにある定義や内容を知ることよりも「その物事が誰かに定義される前の状態」を知る事の方が面白い。
29はわたしにここまでを書かせ、新月へ向かう船の前でさらに平沢進の曲を渡す。29はにやりと笑って、狂気に踊らされない私の進路に加護を記した。LOTUS。amen
はじまりよ
ときのおとにも
かなしみを
ひかりはなくとも
やみはひかりて
(月齢29へ捧ぐ詩)
月齢29
三十日月:みそかづき:ダークムーン(Dark Moon)
月の呼び名