彼女は戦っていた【ヒプノセラピー体験談】
ここ最近ずっと子猫の通院でブログなど更新する時間がとれなかったのですが、今日はようやくひと息つけました。(午前中はリンゴでしたが笑)
今日は自分の短い体験談でも。
入口がいつもと違った
ヒプノセラピーは何度も受けていますが、その時は「過去への道」が道ではありませんでした。
砂浜にいたのに、気づけば地下へと続く出入口があり、降りると長く暗い階段でした。
ひんやりとつめたい灰色の石の壁に、ときおり掛かっている小さな蝋燭。
階段を下りる足音と、蝋燭の炎でゆれる自分の影。
一番下まで降りると、そこにあったのは古ぼけた木のドア。表面はガサガサしています。
そのガサガサとしたドアに手をかけ、開けてみると…。
ヨーロッパの街と瓦礫
向こう側へ一歩踏み込むと、爆撃の嵐でした。
暗い空に、高い建物。とんがった屋根の向こう側に、遠く影が見えます。
人々は混乱し逃げまどい、悲鳴をあげています。
ーーー???
事態がうまく呑み込めないので、いったん少し時間を巻き戻すことにしました。
私は、中流階級くらいの家柄の小さな女の子のようです。
金髪で、名前はアン・ドレイク。本当はもっと長い名前かもしれませんが、アンと呼ばれていました。
他に、髪の長い姉と、父と、赤い服を着た母がいました。
おそらく、第二次大戦と思われますが、戦争が世界のあちこちで起こっていたにも関わらず、私の家はまだ平和でした。
小さかった私は「戦争」と聞いてもピンとこず、どこか遠い国で偉い人たちが戦っているのだとしか考えてなかったようです。
だから、その夜のことは本当に混乱したのです。
黒い人
爆音はいきなりでした。
町は砲弾で瓦礫となり、人々はどこへ逃げればよいかも分からずただ走りました。
私も家族と走って逃げていたはずですが、離れ離れになったのか、迷子になったのか…。
はるか上空を、大きな音をあげて爆撃機が旋回しています。
夜なので暗いはずなのですが、炎で照らされていたからか、不思議と視界には困りませんでした。
私はその時、怖いものを見ました。
「あれは、なに?」
真っ黒な人間です。
人間なのかは分かりませんが、人型をしています。
真っ黒で、目だけは見えます。
人々の一番うしろを、よろよろと追っていくのです。
私には、いまだにその黒い人が、人間だったのか、それともこの世のものではなかったのか、分からないのです。
皆に見えていなかったのか、見えても無視していたのか、気づかなかっただけなのかも分かりませんが、私は気づいてしまいました。
何人かいるのです。
私はそれらにつかまり、服をビリビリと破かれました。
「お前らはいつもいい思いをしていたんだ」
と怒っているようでした。
体をつかまれ、地面に何度も打ち付けられました。
その存在は力が弱いのか、私は怪我をするには至りませんでしたが、恐怖でただ「助けて助けて」と叫んでいました。
見知らぬおばさんが助けてくれました。
私の体に大きなシーツのようなものをかぶらせ、一緒に逃げてくれました。
それからのことは、よく思い出せません。
平和のためだけに生きた女性
気づけば、「アン」は大人になっていました。
アンは、そののち、戦争で何が行われていたのかを知り、勝ったほうも負けたほうも罪を犯していたことを知りました。
「黒い人」のことは覚えていましたが、彼らもまた戦争の被害者なのだと思うと、100%憎むことはできませんでした。
「戦争はいけない。平和に生きなければ」
そう心につよい思いを抱き、アンは様々な平和活動をしていく自立した女性になっていました。
それ以降は特に見ることもないようで、私はアンの意識と分かれ、ふたりになって天へと昇っていきました。
天の庭園にて~ガイド「philosophy」
いつもは薄ぼんやりとしたイメージしか湧かない私ですが、今回なぜかイメージがクッキリと浮かびます。
ローマ時代のような服に赤い衣を斜めにかけた男性が、私たちを待っていました。
足元は、雲。まるでドライアイスをたいたように、風とともに白い美しい雲がびゅうっと流れていきます。
遠くには、ローマやギリシャの神殿のような建物が見えます。
「よく来たね」
そう男性は微笑みましたが、「私」(アンさんではありません)は不信感でいっぱい。いつもこんなにクッキリ見えないのに、これは偽物かしら。何かのハリボテかしら、と彼を見つめていると、彼は笑って、私のいつもの「ガイド」さんを呼びました。
そのガイドさんが軽く頷くのを見て、ようやく警戒をとく私(笑)
彼は、自分の名前を「philosophy」と言いました。
(まさかのアルファベットで浮かびました…意味は起きてから調べました)
彼女の人生を知る理由は何だったのか、自分にどんな意味があったのかなど様々な質問コーナーになりました。
私には、彼女の人生には何ら問題となる部分はないように思えました。
幼い頃の体験は過酷で凄惨なものだったけれど、彼女はまっすぐに育ち、その信念のために働き、意欲をもって仕事をしましたし、最後まで生き切った感じがします。悔いもなく、なにより、平和のために尽力していた人で、尊敬できると思いました。
すると、philosophyさんは、ひとこと言いました。
「彼女は、戦っていた」
その言葉を聞いた瞬間、一気に涙が出そうになりました。
そうか、彼女は戦っていたんだ。
「平和」のためとはいえ、その姿勢は「戦い」だった。
アンさんも隣にいたので、本人が聞きました。
「私のやり方は、間違っていたのですか?」と不安げに。
philosophyさんは言いました。
「間違いではない。ただ、君は怖かったのだろう?」
それを聞いたとたん、アンさんの両目から涙があふれました。
私は悟りました。
アンさんは、「平和のため」に活動したのではなく、「あの時の恐怖」を恐れて、それを見ないようにするために行動した。
希望ではなく「恐怖」を避けるための活動だったから、主張が激しくまるで「戦っている」かのようだったんだ。
彼女は、自分の恐怖心と戦っていたんだ。
本当はあの時、ものすごく怖かった。
戦争も怖かった。
アンさんは、とてつもない恐怖心を胸にぶっすりと刺したまま、それを解放せずにひたすら頑張ってきたのでした。
私は、アンさんの胸にささった「恐怖心」を抜いて癒すことにしました。
「恐怖心」を手放してやり直した人生
アンさんは、「恐怖心」からではなく、本当に平和のために生きる人生をやり直したいと望みました。
やり直したアンさんの人生は、素晴らしいものでした。
「戦い」ではなく「自らの在り方」で平和を示す。
そして主張は凛として行うけれども、それに従えとはだれにも言わない。
アンさんはたくさんの仲間を得て、生涯の伴侶とも出会い、とても幸せな人生を全うしました。
もう一度天に戻ってきたアンさんは(先ほどよりさらに晴れやかに美しくなって)私に笑いかけていいました。
「ありがとう。あなたのおかげで、私は本当の平和を生きられたわ」
私はその一部始終を見て、学ばせてもらったのです。
平和とは、「勝ち取る」ものではないと。
ただ「在り方」そのものなのだと。
勝敗は何も産まない。
けれども、在り方はたくさんの希望を産む。
真摯な姿勢で幸せに楽しく平和を生きたアンさんから、目に見えない資産を私はたくさんもらいました。
philosophyさんが、私に言いました。
「君には、この子(アン)から、才能が受け継がれている。平和への意志と、賢さと、文筆の才能だ。君はきっとそれを役立てていける」
そう、激励されました。
アンさんも、応援しているわとほほ笑んでくれました。
私たちは、こうやって、目に見えない存在、本当にたくさんの存在たちから、多大な恩恵を受けているのです。
改めてそれを実感し、感謝しかありませんでした。
あなたにも、きっと、たくさんの受け継がれた才能があります。
今、役立っているものもあれば、役立てる日まで待っているものもあります。
ぜひ、それを発揮して、楽しく過ごされることを、願っています。
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