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ジャン=ポール・ゴルチエについて

こんにちは。先日北海道旅行にいった際に行きの飛行機を乗り逃し大きな出費をしたlilcatです。
そして、明けましておめでとうございます🌅
冬も本格的に始まり夜は本当に冷え込んできておしゃれが楽しい季節になってきましたね。

今回は伝説的デザイナー「ジャン=ポール・ゴルチエ」について簡単に解説します。

JEAN PAUL GAULTIER
ジャン=ポール・ゴルチエ

「Jean Paul Gaultier(ジャン=ポール・ゴルチエ)」
デザイナー「ジャン=ポール・ゴルチエ」は1976年ブランド「JEAN PAUL GAULTIER」を立ち上げ、プレタポルテコレクションにてデビュー。
ゴルチエは80年代を代表するデザイナーであり当時、周りのブランドでは美しく華やかなモデルが起用される中、独特で個性的かつ美しいとは言えないような顔立ちのモデルをショーに起用し「ファッション界の異端児」とよばれていた。
ゴルチエは今までにないアバンギャルドなデザインを得意とする。
その洋服は斬新で、「マリンボーダー・ニット」「メンズスカート」などを提案し、「ヘルムートラング」が得意とするボンテージファッションなどの先駆けになりその他、「コックと泥棒、その妻と愛人」や「ロスト・チルドレン」などの映画の衣装を手がけ、シンガーの「マドンナ」や、ロックアーティスト「マリリン・マンソン」のステージ衣装なども手がけています。
04〜11年には弟子である「マルタン・マルジェラ」から代わりエルメスのクリエイティブディレクターに就任。
2020年春夏オートクチュール・コレクションを最後に、デザイナーのジャンポール・ゴルチエが引退。オートクチュールライン、フレグランスラインは継続。


大まかにゴルチエについて説明するとこんな感じなんですよね。
ゴルチエはデザイナーの「マルタン・マルジェラ」にも影響を与えていて、80年代に関わらず、ファッションの歴史において欠かせない人物だと僕は思っています。

デザイナー ゴルチエの歴史


次は彼の歴史についてなのですが…

彼「ジャン=ポール・ゴルチエ」は、1952年フランス郊外に生まれ、会計士である両親のもと育ちました。

服には初めはあまり興味がなく、映画やミュージカルなどエンターテイメントに興味を持っていたのですが、映画「偽れる装い」と出会い、ランウエイを歩くモデルが拍手喝采を受けているシーンを見てファッションへの道を決意します。母親が裁縫しているのをみて幼少期の頃に遊びながらに身につけており、独学でデザインを学んで、その後、様々なスタイリストやデザイナーにデザイン画を送り続け、70年、18歳の誕生日に「ピエール・カルダン」のメゾンに入り、「ジャック・エステル」「ジャン パトゥ」で働いてクチュールの経験を積みます。

ゴルチエはカルダンでデザインを学んでいるころ、デザインアシスタントである日本人女性からデザインを学んだそうです。「KENZO」の高田賢三にも感化されたそう。

1976年にフランスにてブランド「JEAN PAUL GAULTIER」を立ち上げ、初めてアクセサリーコレクションを発表。ともに、プレタポルテコレクションでデビューを果たしました。
1978年にはジャンポール・ゴルチェ社を設立し独立します。
このとき会社を立ち上げるために出費したのが「カシヤマフランス」で、これはオンワード樫山のフランス法人にあたる会社なんですね。

オンワード樫山(オンワードホールディングス)は日本のアパレル会社で主に「23区」「自由区」などの婦人服を扱う企業で2006年までゴルチエとライセンス契約を結び、日本での代理店も努めます。(他「ポール・スミス」「カルバンクライン」など)
オンワードに関してはゴルチエ自身もインタビューにて、「僕にとっては家族に等しい存在なのです。」と語っています。
ゴルチエとオンワードはかなり密接な関係にあって、ゴルチエはブランド立ち上げて最初のファーストコレクションから3シーズンは全く売れなく、他国からは評価されたが地元であるパリからはバイカージャケットにチュチュなどの斬新なファッションは当時コンサバが流行っていたフランスではあまりウケが良くなかったそう。

そんな中でとあるジャーナリストが「バスストップ」というセレクトショップがハウスブランドのデザイナーを探しているとゴルチエに持ちかけたところ合格。
その後はデザインに専念できるようになり、パターンと縫製はパリのオンワード樫山のバックアップで完成度が高まり「クロード・モンタナ」「ティエリー・ミュグレー」などを取り扱っていた「バスストップ」はフランスでとても人気でトレンディなセレクトショップであったため、そこにゴルチエの服が置かれて売り上げは上昇していきました。


オンワードに関しては、僕の両親が昔アパレル業界で働いていたこともあり、情報はそこそこに知っているので機会があればまたお話ししようと思います!

fashion snap.comではゴルチエの服はパンクだ!って書いてあったんですけど全然そんなことなくて、(⚠️僕の予想ではあるのですが)当時モデルとしてクイーンオブパンクと呼ばれていたエドウィージュ・ベルモアを起用したことがあり、そこからパンクカルチャーの仕掛け人でデザイナー「ヴィヴィアン・ウエストウッド」の夫である「マルコム・マクラーレン」がショーを見にきたことがきっかけとなり、アンダーグラウンドの層からも注目を集めたのかなって思っています。


ゴルチエの服は本当に前衛的で、ゴルチエは音楽アーティストやや映画の衣装をデザインも行うとおり、音楽や映画などの芸術作品からインスピレーションを受けたりしていて、また学生の頃お金がなかったため古着を買い漁っていたこともあり、コレクションでよく使われ自信もよく着ているマリンボーダーもその頃に買ったアイテムからの影響なんだとか。(流石はマルジェラの師匠というだけありますね。)
また、日本のアーティストの衣装も提供しており、「布袋寅泰」率いる「BOOWY」の衣装提供の経験もある。

00ss マリンボーダートップス

EXPANDING FASHION by JEAN PAUL GAULTIERにて

マドンナ「オープンユアハート」コルセット衣装

さて、悔やまれますが2020年にデザイナーを引退したゴルチエですが、ジャン=ポール・ゴルチエの服を語るに欠かせないのはテーラードの美しさとジェンダーレスです。
伝説的なデザイナーのほとんどは女性を最大限美しく見せるために最高の仕立てを行っていました。もちろんゴルチエもその一人で、ジャケットなんかはめちゃくちゃ綺麗です。
コレクションで使われてるものは基本的にパワーショルダーでウエストが細くなってるものが多いイメージです。
また、ゴルチエはメンズスカートを開発したこともあり、ファッションにおいてメンズウィメンズの壁を壊したジェンダーレスの先駆者だと思っています。

そして、メンズスカートやマリンボーダーに続くほど有名なものがタトゥートップスです。
マルジェラのファーストコレクションでも使われた体にぴたりとフィットする刺青のような柄のトップス。
今ではさまざまなブランドから似たようなデザインのアイテムが出ていますが、その原点はゴルチエです。
タトゥートップスは様々な著名人も着用していて、日本では「L'Arc〜en〜Ciel」の「hide」も着用しています。
年々その中古相場は上昇しており、貴重な年代で美しいデザインのものでは数十万円するものもあります。
僕は運良く安く手に入れることができたので僕が持っているものにはなりますが下にショーのルックと共に載せておきます。

1995ss look27

14ss

JEAN PAUL GAULTIER タトゥートップス

最後に

ということで今回はジャン=ポール・ゴルチエについて簡単にまとめてみました。
ゴルチエの仕立ては美しく、そしてなにより今までになかった新しいデザインをこの世に残し、歴史に名前を残したことを皆さんに簡単に知っていただけたら僕はうれしいです。

長文読んでいただき、ありがとうございました‼️

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