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アントワープSIX の謎のメンバー「マリナ・イー」について僕が感じたこと。

こんにちは。lilcatです。
今回はブランド「コムデギャルソン」のデザイナー「川久保玲」に触発され、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業した後、90年代ファッションに多大な影響を与えた「アントワープSIX」のメンバーの一人、デザイナーの「マリナ・イー」についてお話したいと思います。


マリナ・イーについて

ファッションデザインナー、マリナ・イー(Marina Yee)は1958年にベルギーのアントワープに生まれ、母親に自身のアートへの素質を見出され15歳の頃にアートスクールに入学。同じアートスクールにデザイナー「マルタン・マルジェラ」も通っていた(当時16歳)。
後に、母親が買ってきた「アヴェニュー(AVENUE)」というファッション雑誌に記載されていた情報を見てアントワープ王立芸術アカデミーへの進学を決意。一度は入学試験が不合格になるも翌年の1978年に無事入学。
1981年にアントワープ王立芸術アカデミーを卒業。また同期のデザイナーの、「ドリス・ヴァン・ノッテン」「アン・ドゥムルメステール」「ダーク・ビッケンバーグ」「ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク」「ダーク・ヴァン・セーヌ」とともに90年代を代表するアントワープアカデミー出身デザイナーの集団「アントワープSIX」として括られる。

しかし、1988年にグループを脱退。

その後のメディアやファッションの業界への露出はなかったが、2018年にアーカイブショップ「ライラ トウキョウ」で新たなプロジェクト「M.Y. project」を始動させた。

当時とてつもない人気を発したアントワープSIXのメンバーの一人のマリナ・イー、しかしネットに出回っている記事もほんの少しだけしか情報がありません。一体どうしてなのか?その裏にはマリナ・イーの様々な苦悩と葛藤がありました。

マリナ・イーってどんな人?

マリナ・イーはアントワープ王立芸術アカデミーでの学生時代、クラスメイトは10人も満たないほどしかいなくアントワープSIXのメンバーとずっと一緒にいたといます。特に、シューズデザイナーのダーク・ビッケンバーグとは親友でビッケンバーグと仲の良かったドリス・ヴァン・ノッテンとも一緒にいたと言います。マルタン・マルジェラとは当時交際関係にありました。

卒業後は若いデザイナーの創造性と生産工場を結びつけることを目的としたコンクールにマルタン・マルジェラ含む7人で3回出典しましたが、あまり良い結果が出ない不満の残るものでした。そして、マルジェラがジャン・ポール・ゴルチエ社に就職が決まり、6人での新体制になった1985年に、6人の作品をバン一台にロンドンファッションウィークの「ブリティッシュ・デザイナーズ・ショー」に参加しました。
6人合同ショーを行ったところをマスコミが取材したことによってファッション業界から注目を浴びることになります。

しかし、ドリスはメンズで、アンはレディースで、ウォルターはニット、ダーク・ビッケンバーグはシューズなど他のメンバーがそれぞれのジャンルでデビューしていく中、締め切りや要求などの様々な課題に直面し、混乱し、他のメンバーと比較して劣等感を抱くようになった彼女は、「アントワープSIX」のメンバーを脱退します。
グループ脱退後、自分を見失い自己嫌悪に陥った彼女は、ファッションに対して嫌気が刺し、パリから両親の住むベルギーにて静養生活を送ります。この期間に彼女は結婚し、子供を授かります。

自分自身のキャリアでの失敗がトラウマを感じていましたが、この機を境にファッションデザイナーというしがらみから解き放たれ、自分を見つめ直す機会になったとインタビューで語っています。

しばらくしてから彼女はブリュッセルでまた活動を開始します。それは服だけでなく、コラージュやペインティング、オブジェや家具のデザインといった広い分野での活動になりました。
1999年にはプロジェクトにも参加し、アントワープで開催された「ヴァン・ダイク」展にてファッション部門でのディレクションを務めます。
そして、2018年にフォトグラファーである「マリーナ・ファウスト」からライラ トウキョウが連絡を取りたがってるとメールがきたことをきっかけに「M.Y. project」が始動します。

ファーストコレクションは長年着られる普遍的でシンプルなコート二型とシャツ二型を発表。
このコレクションのシャツは僕も一度試着しましたがとても素晴らしいものでした。


こちらのシャツは僕も試着したモデルなのですが、人生で初めて東京にいった時に試着してみて、当時15歳でバイトの初給料で東京へ向かったのでとても購入できたお値段じゃなかったのですが、とてつもなく強い衝撃を受けました。表面からも背面からも着用でき、素材から着心地、ディテールまでとても上質で、シンプルながらもデザイン性もあり女性らしいシルエットのシャツで、まさに芸術的作品だと感じました。

僕がこの「アントワープSIX」のメンバーの中でも最も謎多き人物、マリナ・イーについて調べてみて思ったのは、ビジネスと自己を表現するファッションデザインを平行して行うことの難しさです。

マリナはビジネスパートナーに恵まれなかったものの、とても才能のあるデザイナーでした。しかし、美的才能だけではビジネスとして洋服を販売していくことができないのです。
デザイナーとしてのセンスはもちろん、マーケティングやマネージメントも自身のブランドを立ち上げるにおいてはとても重要なことで、大きな舞台になればなるほどさらにそれは重要になるということ。マリナにはビジネスの才能がなかったわけではなく、周りに恵まれなかったことや、ファッション業界のスピードの速さが原因なのではないだろうか。

しかし、マリナはグループを脱退後も自宅であらゆる創作と実験を繰り返し、自分の満足のいくまでデザインを仕上げていました。それはとても努力家でデザイナーとしてのプロフェッショナルな精神といえるでしょう。
「M.Y. project」のデザインを見て、着てみると改めて実感します。


最後に

今回、マリナの記事を書くにあたってマリナ・イーとfashion snap.comのインタビュー記事をベースにしたのですが、僕はこのインタビューで最も感銘を受けたのが「今回のプロジェクトはどのようなプロジェクトになったか」という質問に対してのマリナの回答「メインディッシュに特上のいいものを少しだけ提供するスタンスに回帰した。私は大量生産のファッションサイクルの一部にはなりたくはない。このような形でプロジェクトをスタートさせたのも、今のファッション産業に対する提言でもあります。「ファッションで何が起きているか?」「なんで今のような形になってしまったの?」といった私の中の潜在意識が、このプロジェクトの根本的なテーマでもある。」という言葉です。
これは多くのデザイナーやファッショニスタが問題視しているものであります。
この言葉は、大量生産され、無個性な洋服たちへのアンチテーゼ、デザイン含むより上質なものを求める人たちへの救済としても受け取れる。

「今は自分をファッションデザイナーだとは思っていない。表現のアウトプットが服ということは多々あります。ファッションはいつも私の中にありました。」と答えているように、デザイナーとしての活動を休止している期間が長かったものの潜在的なデザイナーとして、ファッションを愛しているというその本能はやはり消えないのだと僕はそう感じました。


今回は、デザイナー「マリナ・イー」についてまとめてみました。いかがでしたでしょうか?
情報の少ないデザイナーですのでまとめるのが少々難しかったのですが、楽しんでいただけたのなら幸いです。
最後に僕がマリナ・イーというデザイナーを愛した理由の一つの言葉を載せておきます。
この言葉からは、彼女の人間味溢れ、ファッションへの愛を感じられる言葉になってますのでよければお読みください。


長文お読みいただき、ありがとうございました‼️


「ファッションは私を苦しめたものでもあり、私を救ってくれたものでもあるのです。単なる服ではなく、私にとって表現方法の一つであり続けるのだと思います。」
              Marina YEE


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