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八つ当たりの正体

八つ当たり、というのは エネルギーの暴走状態なのだな、と思っています。

生きていれば、大抵の人が、

過去に、八つ当たり、を"したこと"も 
"されたこと"もあるでしょう。

八つ当たり、という現象について 私の最近の
考えを少し書いてみたくなりました。

まず、八つ当たり、というのは非常に無自覚な
まま行われるのですが、

何故 無自覚になってしまうか、という点です。

八つ当たりをしたくなるときというのは、

まさに、八方塞がりな気持ちを、とにかく解放したい衝動に突き動かされていると思うのです。

つまり、自分自身の才能や力の解放の方法や
取扱方、自分のエネルギーキャパシティに対しての無知が引き起こす現象だと感じます。

とっくに自分のキャパシティを超えているのに
気がつかない程に疲労が蓄積してしまったとき

本当は、自身の才能やエネルギーを開放したいのに、受け取ってもらえない、或いは伝え方が
分からなくて そのエネルギーを抱えて腐らせてしまうなど


疲労や想いを解放したい、でも どうしていいかわからないというモヤモヤした気持ちが

臨界地点を迎えたときに、衝動的に起きる現象ではないか、と感じるのです。

八つ当たりをしているときは、本人は
頑張っていますし、きっと努力もしています。

しかし、頑張っている、努力しているから
八つ当たりをしてもいいというのは
本人にとっても、周囲にとっても建設的な解決策ではないように思います。

一方で、
適度に不真面目な人、適当な人は

"ガス抜き"の手段と方法を沢山携えています。

八つ当たり傾向がある方への提案としては、

まず、自分自身のキャパシティを観察すること、
ルールを決めることなどが提案できます。

例えば、私なら "こんなにやってあげたのに
と思うほどやらない"というルールがあります。

他人に何かを提供するときに、あくまでも
私の歓びから動けていたかを確認するためです。

それから、何かに挑戦してみたいけど
やるかどうか躊躇するようなときには、そこに

嫉妬や捻くれのような気持ちがないのか観察するようにしています。



人は根本的に自分の資源や才能を提供したいと思っています。


人が傷ついてしまうのは、役に立ちたいのに
受け取ってもらえないとき。

その想いが拗れると、嫉妬や怒りの感情、疲労感、なんとなく面倒くさいと感じるなどという
想いとして認識されてしまうのではないかと思うのです。

本当は、わたしは私として私のエネルギーを
この世に解放したい 

というシンプルな気持ちが 

八つ当たり、という現象には隠されているのだと
感じます。







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