本音と建前
社会性と呼ばれるものを身につける過程で
"本音と建前を使い分ける"
"TPOをわきまえる" など
そんなことを覚えていきます
育ってきた環境や価値観が違うもの同士が
交流するときに
それらは場に調和をもたらしたり、安心な環境を作り出すことを手伝ってくれたりします
歳を重ねるうちになのか
本音と建前を使い分けることにも
次第に慣れていき
いつしか使い分けている自覚さえないままに
上手に使い分けるようになったりします
言葉にも温度感や肌感のようなものがあり
本音は 生々しく、生命力や人間味に溢れ、時に残酷で
建前は 柔らかく 穏やかで時に乾いている
そんな風に感じます。
その日の心の具合で
ライトな会話をただ楽しみたかったり
心をオープンに深く繋がってみたくなったりと
本音と建前のように 温度感の違う言葉を
いったりきたり。
言葉にもある温度や湿度。
字面だけではなく、確かに存在する
そんな感覚に気がつきながら
心の開き具合に気がつきながら。
なんだか 渇いているな、と感じるとき
遠慮などから建前ばかりを並べているのかもしれません。
人の本音は生々しくて、残酷で、湿度があり
温度も高い。
それでも それを交流させることは
生きている実感を確かにもたらしてくれる
そんな風におもいます。
子供騙しという言葉があるけれど
子供はそんな言葉をこえた温度や湿度に
よっぽど敏感で
むしろ 騙されやすいのは
建前を扱うことに慣れ過ぎた大人
なのかもしれないなとおもいます
本音でぶつかり合うのは ざらざらと音を出すこともあるでしょうが
とても 生き生きとしているなとおもいます
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