卑下慢にみる違和感のことなど
"違和感をとらえること"
"エネルギーをそのままとらえること" などに
幾度となく救われてきたので、そのことについて少し書いてみます。
年末、親しい友人と話をする中で、
気づかされたのですが
今現在、私に集まる"信頼"というものは、冒頭の
"違和感を大切にすること"と
"エネルギーをそのまま捉えること"など、をある程度、徹底してきた結果 繋いできた
縁や情報網、そして判断基準にあるのだな、と感じることがありました。
抽象的なので、具体的な例を出すと
人付き合いをする中で、例えば私が"違和感"を
捉えるのは、こんな瞬間です。
謙遜するように、自分の話をしたかと思えば
何度となく自分を卑下していく
かと言って、本当に自分を低く見積もっているわけではなく
本当に欲しいのは、"承認や賞賛の声"だったりする。
多少の、こういった調整は
誰でもすることですが、
私に言わせると このようなやりとりは
以下のように視えています。
"褒め言葉を何度となく他人から"
もらおうとして、
しかも、その前に ※ハードルやら※跳び箱まで
用意して
(※褒めて欲しいとは口には出さないものの、実際には 褒めてほしいと思っている様子がハードルとか跳び箱まで用意されたように感じる。
或いは壮大なクラシックの序章を聴かされているような気分になることも)
こちら側に何度か、そんな
"跳び箱とかハードル"とか 飛ばせたあとに
御目当ての 私を満足させる褒め言葉を、
ちゃんと、届けてね!
みたいな傲慢さが視えることがある。
この領域って、謙遜ではなく ※卑下慢
なんですよね。
※卑下慢
参考 https://bukkyouwakaru.com/dic/s97.html
卑下慢に慣れてしまうと、こういう図々しいことをしているのに気がつかず もっともっと
欲しくなってしまう。
"承認欲求がこじれている" 心理学風に言ってみたりすると
そんな風でもあるのですが。
ここにどんな虚しさがあるでしょう。
まず、周りの想いや配慮がおざなりになっています。
相手がどんなに、相手を励ましていたり
賞賛しようとも、 本人が満足するものでなかったりすると 喉の渇きを潤したいとばかり
まだまだ卑下は止まりません。
相手が自分に向けた
言葉を受け取らないのなら、褒め言葉を録音したテープでも流したらいいんじゃないの?
なんて思います。
そのくらい、人の言葉を無駄に
いえ、人の時間や 息、(命)を無駄にするくらいの
傲慢な行為です。
多少、過激に聞こえるでしょうか?
横行していることですが、中々トラップがあり
見過ごされることも多いのではと、
敢えてシャープに表現してみました。
もう少しこのことを掘り下げてみると
この卑下慢は、他人の時間を奪い 疲弊させるだけではなく、 本人自身も自分の欲求に気が付いていない 時間潰しなところが厄介なのです。
そこから派生して、本当に欲しいものが
ブレていく、
つまり 感度 感覚がブレていく。
そうすると空虚感、虚無感に襲われるっていうようなループなのです。
つまり、知らず知らず人を振り回しているのに、
本人は悲劇のヒロインを楽しんでいたりするのです。
そういうの、やめませんかー?って
時には私は ぶっ込んだりするんです。
どうやるの?と思いますよね?
ウケるー!って一言 言ってあげます。
すると、相手の思考に一瞬のスペースが生まれて
ふっ、と本人が 本当に欲しがっているものを
観たりするんです。
深刻なムードには、ユーモアや遊び心で
崩しをかけて、"承認欲求の暇潰し"
には付き合わないようにしています。
その代わりに、本当にその人に搭載されている
"才能や創造性のスイッチボタンに触るように"
意識しています。
何が言いたいかといえば、こんな繊細なことを
サラッと会話の中で素早く分析し、
提案できる私の能力は素晴らしいってことです。
卑下満足しているよりも、そろそろ
能力開発に、時間をつかいませんか。
ぼんやりした感度に磨きをかけるために
美味しいものや美しい景色を観に行きませんか?
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