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地図を見る生活

去年、急に部屋に世界地図を貼りたいと思った。

小学生の教材とかよりは大人っぽいけど
地名とか緯度経度の線とか入ってるちゃんと地図なやつ。

Amazonで探し、いざ来たら予想より大きかった。

貼ってみたら予想より部屋の印象を占領した。

せっかく貼ったのに見えないとつまらないから、地図が見えるように家具の配置も変えた。

購入して10年以上の付き合いになる棚が、新参者の地図に合わせて移動される下克上。

それから半年以上貼ってあるが
なかなか良い。

ご飯を食べながらも、ふと眺めてる。

ロシアとかこんな広くてどうなってんのかしらとか、友達が住んでる国眺めて話しかけてみたり(壁にね。)
ヨーロッパ密集しすぎてもう国名見えないとこあるし、なにあの国?初見だわーとか。

私は小学校の時から地図が好きで、ひとり図書室で大きな日本地図と世界地図を交互に眺めていた。

もうひとり地図男子がいて、嬉しそうにキリマンジャロについて教えてくれた。私は日本地図に時間を費やし気味だったので、彼は外国の地理に明るいのだな、尊敬。と思っていた。

大人になってからも寝る前に東京23区ロードマップとかいう、こまかーく道を確認できる本を眺めてから寝ていた。

成増から荻窪までの道を辿って確認したり、次の休みに自転車で高円寺まで行くルートを何度も辿ったりして、満足して寝る。

Googleマップで空港写真散歩もよくする。地図が好きな人というのは一定数いて、なんかにやにやするものなのです。

そしてこの「壁に地図」生活も板についてきて、

続いて
「この部屋には日本ももっと大きく見える地図が必要なんじゃないのか?」というひらめきが起こる。

日本地図と、旧国名地図。

ちょっとこれはあまり満足していない。

無料ダウンロードを印刷してきたのだけど、やはりどうも見ごたえがないので、理想ではない。

旧国名地図は急に貼りたい!と思った。

やっぱり神社に行くことで祀られてる神様を調べたりすると、おのずと日本書紀や古事記に触れる機会も増えるものなのです。

そうすると古い地名も把握したくなる。おのずと。

そして日本書紀・古事記と、自分が学校で習った歴史がどこで融合するのか、年齢もあるのか歴史めっちゃおもしろくない?とかなってくる。おのずと。

そいていくつか神社行ってると鳥居のデザインとか、社の建築様式もや時代もいきさつも気になる。

っていうかブラタモリがその辺触発してくる。

こういったおのずと、興味関心はとどまるところを知らないし

相変わらず散らかりすぎ、散かしっぱなしで収集がつかないが、

こういう状態は「いやーまだまだ死ねないぜ」という感じで楽しい。楽しいよ。

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