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建築家の人の本

「古民家再生ものがたり」を読む

図書館の「建築」コーナーで見つけた、
古民家再生の本。

「建築」コーナーは
「暮らし」のコーナーとは違い、
専門的な本が多い。

古民家再生と、その先の暮らしに関しての実際を知りたかった。

著者の降幡廣信さんは
信州、安曇野に建築事務所を構える
建築家らしいです。

地元の安曇野近辺の
崩れかけた古民家を、
新築の近代的な家に建て直すのではなく、
不便なところは直し
立派な柱と梁はそのまま残して
これから100年住める形に再生させる。
その仕事が確立されていったエピソードが
1軒ごとに記載されています。

「ものがたり」というように
専門的な建築用語が飛び交う内容ではなく、
家の主がどんな思いで
再生を相談してきたか。

家庭の背景、反対する家族との話し合いや、
家族が家と共に残したいものはなんなのか、
先生が読み取り、形に残し
その後その家が地域に愛される様子や
人が集まり様々な使い方をされていく
心温まるエピソードが主でした。

そして合間のコラムには
間取りや土台、木材洗いなどの
少し専門的な説明も。

私は昔の家は
柱や梁はもちろん土台もしっかりしているから
「昔の家は強い」と言われてるものだと思っていたけど、
土台は弱いそう。
大きな石の上に柱を指しているので、
年々ずれて家が沈んでいくそうです。

なので1度、柱・梁をどかし、
土台を近代的な屈強なものに作り替え、
その上にまた骨組みをもどす。

実質残るのは骨組みだけなんですね。

私も古民家に憧れます。
でも「暗い、寒い、水まわりが昔ながら」
はちょっと愛し抜ける自信がない。。。

そんな自分にちょうどいい
「古民家」の実際を探るのに、
読みやすく知識も増える1冊でした。

新潟 海と山の間の古民家

古民家の賃貸ないかなーと検索しながら
そういえばうちのおばあさんは1人、
新潟の山の上のでかい家にいるじゃないか
と思い出す。

昔ながらの土間もあり、
そこは昔トラクターが収納されていたり
母が子供の頃は
牛と鶏を飼って牛乳はその牛から搾乳したものを飲んでいたそう。

家族みんなでお百姓として
米と畑をして生活していたそうです。

誰もやらなくなった畑もある。
っていうかたぶん持て余してる。

今はおばあさんが1人。
10年ぶりに行った時には、床がところどころ沈んでいた。
おばあさんはもう小さくて軽いから、
いいんだよ、別に。と言っていた。

「私はあとはこの家と一緒に死ぬからいいの」
と言っていたおばあさん。

でも
「この家の梁はこの辺でもちょっと有名なくらい立派でねぇ
来た人はみんな褒めてくれるんよ」
と言う時の顔は誇らしげだった。

「温泉を掘ろうとか、
観光に繋がることはないかとか
市もがんばったんだけどねぇ
この辺も限界集落だよ。」
と言っているけど、どんどん周りの人が減っていくのが淋しいんだろう。

ここは、霊峰 米山の登山口の近く。
広い居間にいると、窓から登山の行き帰りの人と目があって、会釈したりする。

おばあさんは家の前の畑に行くだけなのに、
うすーい眉を描く。
登山客の人に会ったら恥ずかしいからって。

夏のシーズン、登山帰りの人がシャワーを浴びたり、
採れたての冷やしトマトで休憩するような場所にならないだろうか。

温泉が出なくても、ならではのものもある。
子供の頃見た、真冬の雪景色。
おばあさんの家から少し上ると、
赤い鳥居の小さな神社がある。

そこから見渡した一面雪で覆われた
景色を今も覚えている。

月灯りと真っ白な銀世界で妙に明るく、
民家しかないのでぽつぽつと
家の灯りが見える。
日本の風景。
ノスタルジックなものだった。

日本の雪国を味わうだけの1日を過ごす、
1日1組限定の宿。
外国人の方は特に感動するんじゃないだろうか。

そんな微かな夢が浮かんでくる。

もちろんおばあさんの希望、
母やその兄弟の希望、皆さんあの家をどう思っているのかを
まず、話すこと。

そして私は今年、米山に久しぶりに登ること。
実際に登って、どんな風に素敵か、
自分の体でしっかりと味わいに行くこと。

この微かな夢を持ち続けて
少しずつ動いて行こうと思う。

この本を読んで、
またこの思いつきに熱さが加わった。

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