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Privilege of indifference

はじめまして。6月のレポートでは、私がタイ人の友達と政治への無関心について語り合った時に学んだことについて共有をさせていただきます。

普段より親しくしているタイ人(1年ほど前にアジアビジネスコンテストで知り合った)と月1のビデオ電話をしました。彼は今日本の大学に3ヶ月ほど留学しており、6月に初めて対面で会いました。月1のビデオ電話では、ちょうど私が世界各国の政治制度に関する授業を履修していた事とタイで選挙をしていた時期が重なったので、タイの政治について話し合いました。具体的にはおよそ3時間ほどタイの政治制度や政治の問題点、政治がタイの国民に及ぼしている影響などを話しあいました。その時に、彼はタイでは色々な政治的問題が起きていて、民主主義から遠ざかっていると感じている若者も多くいると教えてくれました。例えば、①20代前半の彼らが幼かった時は、もっと言論の自由や表現の自由があったこと、②政府の中には国民のためではなく、自分の私腹を肥やすために働いている人もいるため、国民の声に耳を傾けない現実、③デモなども日常的に起きていることなどを教えてくれました。また、「政治について興味を抱かない日はない。朝起きて、まず最初にニュースをチェックし、どの様な小さな政治的変化も見逃さないように心がけている。それはタイに住む若者の大多数に当てはまる日常だ。」と彼は言っていました。逆に政治に対して関心を持っていない同世代がいると、周りの人から批判されるそうです。

私はこの話を聞いて、日本の若者の政治への無関心さとタイの若者の政治への関心はそれぞれどの様な理由があるのか考えさせられました。
よく「日本の若者は平和ボケをしている」などと言われることもあり、私自身も同世代の日本人の友人とあまり政治的な話をしないことを考えるとやはり政治に無関心なのかもしれないと感じるときも多くあります。その背景には「自分たちが政治に無関心であっても、この国は機能するし、何かがあってもこの国が何とかしてくれるだろう」という一種の傲慢さと絶対的な安心があるのだと思います。しかし、タイの若者は、「自分たちは政治を監視するwatch dogのような役割を担っている。そうしなければ自分たちの自由や権利が奪われてしまうかもしれないから。」などという責任の強さがあるのだと思いました。

そして、彼の話を聞いていると、以前Gender Studiesという授業で教授が言っていた"When you look yourself in the mirror and if you see just yourself that's a privilege (鏡で自分自身を見て、自分だけが見えるなら、それは特権です)"という言葉を思い出しました。この言葉は、「普段自分たちが意識せずにとっている行動、考え方、何気ない日常を送ることができない人もいる。自分が自分でいられることこそが特権である」という意味があります。友人の話を聞いていて、日本の若者の政治的無関心は一種の特権なのかもしれないと感じました。政治のニュースを常に追っていなくても日常を送ることができ、デモの心配など何の恐怖もなく自分の好きな場所に行き、会いたい人に会うことができることこそが如何に尊いことなのかを実感させられました。

話し合いの最後に、日本の若者に対してのメッセージについて尋ねたところ、「大学では沢山学び、人脈を作り、資格をいっぱい取得してほしい。国や政府が機能しなくなったときにそれらが大きな力になってくれるから。」と話してくれました。様々な問題が起きているタイに住む彼が言っているからこそとても重みがあり、残りの大学生活の過ごし方を改めて考え、有意義に過ごしたいと思いました。

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