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撮影で周りが見えなくなる感覚が少し分かった、という話。

写真を始めてからしばらくは静止画しか撮らなかったので、主に使用するSNSはXとInstagramだった。動画は、スマホで遊び感覚で撮ることはあったけれども、しっかり撮影する機会は皆無で、それ故にLumix GHシリーズやSony ZVシリーズなどの動画に特化したカメラの魅力も分からなかった。みんな動画が好きなんだなあ、とぼんやりと思っていただけだ。
今年に入って、写真を撮るために街なかを歩く際に動画も撮れないか、ということを考えた。特に狙いがあったわけではなく、ログのように自分が歩いた場所を記録しておくのも楽しいかと思ったのが一つ。そして、加齢と足の怪我であまり出歩かなくなった母が、自分が歩いた際に撮った動画を殊の外喜んだというのがもう一点。動画を観ていると、自分が歩いているような気分になれるらしい。そういうことなら無理のない範囲で、写真撮影時の動画を撮ってみよう、と思い、胸にスマホをつけて写真を撮ってみることにした。あとは、せっかく海の近くに住んでいるのだから、江の島や江ノ電の動画をちょこちょこあげられたらいいなあ、というくらいの、軽い気持ちだった。老いた親が喜んでくれて、ひょっとしたら収益化にもなるかもしれない、これはもう、得しかないじゃん、と考えたわけだ。
YouTubeへの動画アップロード自体は仕事で経験済みだったので、XやInstagramの写真用アカウントと名前を揃えたチャンネルを新たに作って、動画をアップしてみた。再生数1、いいね1、おかん観てるなあ、と思って笑っていたら、最初の動画の再生数が100を超えた。これは個人的には驚くべき数字で、まさかおっさんが適当に撮った動画の視聴回数が100を超えるとは予想していなかった。この、予想外に伸びる数字、というのは、不思議な魔力がある。自分の存在を予想外の場所で認めてもらえた感じ、といえばいいのか。平たく言うととても嬉しいのだ。加えて、何の気なしにアップしたショート動画も数百の再生数を稼ぎ、タイに行ったときに適当に撮った屋台のおばちゃんのオムレツ調理風景の動画はなんと1万再生を超えてしまった。これはもう、Youtuberになれという神のお告げではなかろうか、などとニヤニヤしながら収益化のページを見ると、チャンネル登録者数1000以上、動画の総再生時間4000時間以上、という収益化の条件。なるほど、こりゃまた厳しい条件だな、そりゃみんな「チャンネル登録よろしくおねがいします」って言うわなあ、と妙に納得した。

※以下は、タイで撮ったオムレツの動画。編集も何もしていないのに1万再生。何が受けるかなんて誰にも分からない。

この時点で、自分の心境には少なからず変化があった。このレベルの再生数でも、落としたくない、という気持ちが働いてしまうのだ。二本目、三本目の動画の再生数がどちらも100に届かない一方で、江ノ電や海を撮ったショート動画の再生数はコンスタントに400前後を記録していた。よし、それなら江ノ電の動画を撮りに行こう、などと、当初の「無理のない範囲で」などという言葉が霧散するようなことを考え出した。そもそもがスナップを撮る際の様子を動画にするはずだったのに、これでは本末転倒なのだが、そんなことに気づくだけの冷静さすら欠いていたのだろう。鎌倉高校前駅は江ノ電沿線で最も有名な駅の一つで、134号線越しにプラットフォームから海が見渡せる、なかなかに稀有な駅だ。ここで撮ればアクセス数も増えるだろう、などと考えていたら、事件が起きた。

撮影に出かけた日は天気の良い日で、いい感じに動画が撮れた。早速ショート動画にアップするとやはりアクセスはいい。ところが、ここで一件のコメントが付いた。曰く「胸糞悪い動画」。見た瞬間に、驚いて固まってしまった。
動画を見返すと、電車が駅に停まったところで撮影を開始している。電車から降りてくる人たちがホームを移動していく。そして電車のドアが締まり、電車が発車する。電車がフレームアウトすると、その向こうに海が見える、という内容だ。問題はホームを移動する方々を撮ったパートだった。ほとんどが観光の外国人の方々なのだが、皆さん自分がカメラを構えているのに気づいて、頭を下げて前を通り過ぎてくださっている。撮っているときは「あーすいません、ありがとうございます!」くらいの気持ちだったのだが、コメント主の方にはこれが許容できなかったのだ。「利用者が頭下げてるじゃん、胸糞悪い動画」。そんな内容のコメントだった。ちょうど、コンビニが撮影のマナーに関連して富士山を隠した、というニュースが出ているときだった。このコメントは、予想外に自分の心にダメージを残した。胸が締め付けられるように苦しくなって、その日一日は何も手につかないくらいの状態になった。
落ち着いて、自分の撮影の状態をもう一度考え直してみた。駅の利用者の動線を塞がないように、ベンチ脇の壁ギリギリに立って撮影した。通行の邪魔はしていなかったと思う。頭を下げることを強要することもしていない。その意味では誰かに糾弾されるようなことはない、とは思った。ただ、言われてみると、自分と電車の間を通る人が頭を下げて歩く光景は、良い光景とは言えないものだった。何より、たった少しの再生数にのぼせ上がって周りが見えなくなっている自分が確実にそこにいた。静止画を撮るとき、頭を下げてくださったり、通行を待ってくださる方がいた場合、いったんカメラを下げて「どうぞ」という余裕が自分にはあった。街なかにお邪魔して撮影するのだから、周囲の方々には気を使うのは当然と思っていた。街なかでカメラを構えるだけで不愉快になる方もいるだろうけれども、自分のできる範囲でなるだけ他人様のご迷惑にならないように、ということは意識してきたつもりだ。だが、この動画を撮っているとき、自分にはその余裕がなかった。地元の利があるのだ。人が多いのなら、早朝などの空いている時間帯に再訪すればいいだけの話だ。観光客で混雑している駅で、人が頭を下げてくださっているのなら、そこに気づいてカメラはしまうべきだったろう。それが出来なかった。わずか3桁の再生数に目がくらんだわけだ。そうした自分のあり様は恥ずべきものだと、そう思った。いろいろ考えて、その日の午後に該当の動画は削除した。これは、アップすべきものではないと思ったからだった。

一連の出来事は動画をアップしてから二週間くらいの間に起こったことだ。こんなちっぽけな再生数でも、それを増やしたいとか、減らしたくないといった気持ちが出てくるのはいい勉強になった。こんな気持になるのだから、そりゃ迷惑行為しても注目集める動画撮りたいよなあ、とか、そりゃテレビや映画の違法アップするよなあ、などと妙に納得してしまった。もちろんそうした行為は許されないことなのだが、許されない行為に踏み出してしまう心理状態が垣間見えた、と言えばいいのか。昔はテレビの違法アップは、HDDレコーダーからコピーガードを解除してPCにデータを持っていって、とかなり複雑な工程があったが、今はテレビ自体をスマホで撮影してアップするケースが目立つようになった。ずいぶんとさもしいなあ、手間くらいかけろよ、と思っていたが、いまならその気持ちも分かる気がする。自分で撮影するより、遥かに簡単に再生数を稼ぐ方法がそこにあるのだ。そこに手を出す人がいても不思議ではないなと、そう思った。

で、Youtubeはどうしているかというと、相変わらず懲りずに下手な動画をアップしている。ただ、撮影時には周りを見るように気をつけるようになったし、再生数が伸びないならそれはそれで仕方ない、と割り切れるようになった。試しに自分が撮った写真を冒頭に入れてショート動画を作ったら再生数が20分の1になった。ボコボコである。考えてみれば当たり前だが、YouTubeを見ている人たちは素人の撮った写真など見たくはないのだ。だが不思議なことに、チャンネル登録者が増えるのはそんな動画をアップしたときだったりもする。敷居が高いなと思っていたDavinci Resolveも意外と使いやすいことが分かってきたし、数字にこだわらなければ動画を作るという作業は殊の外面白い。静止画と同じように、少しずつ勉強していけたらいいなあ、と思う。

※以下は、問題の日に撮影した別の動画。該当の場所はアニメ「スラムダンク」のオープニングで描かれた場所であり、外国からファンの方が多く訪れる。この動画を撮るときだけは「外国人のファンの方を邪魔しないように」「車道にはみ出るなどの交通違反を犯さないように」という配慮が出来ていたので、これだけアップした。それができたのは、交通整理の方が一生懸命働いていらっしゃる姿を見て、迷惑かけてはいかんと思えたから。感謝である。

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