尿生活50点主義

尿はオールマイティーな50点主義。

100点ではない。でもそれで良い。

最低限の50点は担保(リカバリー)してくれる。

私は考える。

形骸化したお墓は要らない。ビジネスだからです。

尿を頂き、身体の恒常性維持を高め、
感謝をして、祈る事が肉体を与えてくれた先祖への慰霊に繋がると。

尿療法は医療ではない。

尿療法は宗教でもない。
教祖も要らない、お布施も要らないし、自己完結する
個人的な事だ。

医学論文も要らず、医療と認められる必要もないし、
秘技であり続ける方が良い。

プラセボという言い方をする人もいるが、
もっと現実的な形で排毒が起こるし、もっとパワフルな事です。

療法という安っぽい言葉でカテゴライズされる違和感を
感じる人もいるだろう。

尿療法というネーミングではなく尿生活という方がしっくりくる。

生命力を活発にする。生命活動、
生を全うする活力を与えてくれる生き方だからです。

この肉体がある事も、先祖代々のバトンタッチがあるからこそ。
だから先祖に対して感謝の意が自然と湧き起こり、
それが慰霊になるのです。

慰霊はお祭りで行うのが一番良い形だと思っています。

尿生活はお祭りです。
それが盆踊り(先祖供養、慰霊祭)の本来の意義です。

病院も薬も要らない。洗脳からの卒業。

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