永遠なんかいらないのかもしれないと思った

どうして永遠ってないんだろう、と思った。

私がHey!Say!JUMPを好きになったのは1年と少し前。人生においてもそう多いとは言えない期間である。Hey!Say!JUMPは今年で14周年を迎える。だけど私はその歴史のほとんどを肌で感じていない。「一緒に過ごしてきた」だなんて口が裂けても言えない。

それでも、私はHey!Say!JUMPが好きだった。彼らが1つのステージで一緒に歌って踊って笑い合う姿が、そういう彼らの作り出す世界が好きだった。小さいかもしれない、もしかしたら少し歪んでいるかもしれない、そんな自己完結ゆえの危うさとうつくしさ、儚さをふんだんに纏った繊細な箱庭のようなHey!Say!JUMPの世界が大好きだと思っていた。

9人でなければHey!Say!JUMPではない。そう盲目的に信じていた。そう思い込みたかった。彼ら9人と、それから彼らと長い時を共にしてきたファンの人たちのおかげかもしれない。Hey!Say!JUMPは9人いるから完全なのだと思っていた。

でも、Hey!Say!JUMPは8人でもHey!Say!JUMPだ。だって彼らがそう決めたんだから。そういう道を彼らが選んで、私はその8人を応援したいと思った。Fab! -Live speaks.-の1日目を観て心からそう思うようになった。

彼らの見せてくれる世界はいつだってそのときの最高で、信じられないくらい幸福で、ここで人生が幕引きされてしまえばどんなにいいだろうと思うくらい甘美だ。だからもうそこで一時停止をしてその瞬間を永遠にしてしまいたいと思うことすらある。登り続けることなんかできない。降りるところを見るくらいならいっそ頂上で終わりにしたい。だけど私が頂上だと思っていたところは、彼らにとってただの段差くらいでしかないのかもしれない。

Hey!Say!JUMPは、何度だって最高を更新してくれる。更新するためには、一時停止なんかしていられない。永遠なんか求めてられない。だってきっと、永遠を手に入れたらここを越えていったHey!Say!JUMPに追いつけなくなってしまう。私は強欲だから、今の幸福だって大好きだけどこれを越えるものがあるなら自分の目で見てみたい。この先にいるHey!Say!JUMPの見ている世界を少しでも一緒に見に行きたい。そのためなら永遠なんか、置いていってやろうと思う。

Hey!Say!JUMPがここにいることは偶然じゃなくて必然だ、と薮宏太さんは言った。Hey!Say!JUMPが好き。Hey!Say!JUMPが自ら選んだ道なら、きっと私は好きになれる。彼らが「俺たちがHey!Say!JUMP」と言ってくれる限り、ついていけば大丈夫だって信じられる。

私はHey!Say!JUMPが大好きだよ、ライブをしてくれてありがとう、どうかあなたたちが幸せである選択をしていてね、という気持ちでだらだらと文を連ねてしまいました。取り急ぎ備忘録のつもりでスマホからベタ打ちしているのでお見苦しい点も多々かあるかと思いますがここまでお読みいただいた方はありがとうございます。そしてHey!Say!JUMPさん、素敵なライブを本当にありがとうございました!明日も明後日も楽しみにしております!!大好きです!!!!

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