リア恋とはなんなのか、ここのところずっと考えている

 ジャニーズオタクになりはや半年が経ちました。相も変わらず私の音楽プレーヤーはHey! Say! JUMPを流し続けてくれています。

 今回は深夜に書きなぐった自分に関する話が中心になるのであまり読んで面白いものではないと思います。どちらかといえば自分の考えの整理と記録のために書いています。とんでもなく暇な人は眺めてみてください。
 なお、あくまで「私が」リア恋をしないということについて書いているのであって、リア恋している方を否定するつもりも批評するつもりもありません。個人的な感情の整理が目的です。むしろリア恋してる人のツイートを拝見するとすごく幸せな気持ちになれるので大好きです。予めご了承ください。


 令和2年の正月休み、Hey! Say! JUMPの薮宏太さんを好きになった。私はリア恋をしない人間だな、と薮宏太さんを好きになるのとほぼ同時にそう思った。

 リア恋とはアイドルにリアルに恋をすること。自分の好きなアイドルに恋愛感情を抱くこと、その人を恋愛対象として認識すること。私がこれまでいた界隈で「夢女」と呼ばれていたものにも近いのではないだろうか。これら「リア恋の定義」らしきものを一通り眺めてみても、やはり私にはおそらく一生縁のない領域だろうな、と思った。
 そもそもアイドルを含めた「推し」というのは、自分と彼らの間に物理的にも心理的にも十分な距離があるからこそなりふり構わずずぶずぶに楽しめるものだというのが私の持論だった。そういう意味では、私は彼らを商品として、ともすれば消費財として好み、愛でてきた。それが理想的な関係だろうなと信じていた。


 でも薮宏太さんが夢に出てきた。
 一回目は、「ついに深層心理まで薮宏太さんのこと好きになったか~ラッキーな夢だな~」くらいの印象だった。薮宏太さんに特別扱いをされる夢。恋愛対象でないにしても好きな人から特別扱いされるのは嬉しい。嬉しかったけど、内容はすぐにだいたい忘れた。二回目は、数日前だった。なんとなくの内容と、薮宏太さんの表情とか体温をまだ覚えている。三回目はそのすぐ翌日。これはまだ内容まで鮮やかに覚えている。

 余談だが私は普段そんなに夢を見ないし、内容もすぐに忘れる。夢を見たことも忘れる。それなのに薮宏太さんの夢は目が覚めてからそのことばかり考えてしまうしなぜか夢を見たことの罪悪感と夢から覚めた喪失感がいつまでも拭えない。

 三回とも、薮宏太さんが私だけを見ている夢だった。私の深層心理は、薮宏太さんに自分だけを見てほしいと思っているんだろうか。それってもう恋ではないだろうか。そんなことがあってたまるか。


 別にそこで私は薮宏太さんに恋をした、で片付ければいい。そういうことにしてしまえばおさまりがつくのに私はなぜかそれを受け入れられなかった。自分の中にある「私はリア恋をしない人間」という固定観念がすごく固い。壊れない。だからその観念の土台に何があるのかを考えた。

 まず、恋愛をしているときの自分が嫌いだ。他のことはけっこういろいろつまみ食いで並行して進めていきたい性格なのに、恋愛をし始めるとすべての優先順位が恋愛に道を開けてしまう。早い話が強めの恋愛体質。そういう柄でもないのに。相手のことをなんでもかんでも知りたくなるし自分が一番になりたくなるし相手のことも一番にしたくなる。「一番にしてあげてる」とすら思う。そういうのが全部はたから見たときみっともないよなあ、と思えてすごく恥ずかしい。みっともない自分を一番好きな人に見られたくない、というのが土台の一つ目。

 次に、好きな人が自分のようなしょうもない人間を好きになってるのを見たくない、というのが一つ。本当に最悪な性質だと思うけど、自分を好きでないおかげでごくたまに自分のことを好きだと言ってくれる人が現れても「自分なんかのことを好きって言うんだからたいした人じゃないのかもしれない」と思ってしまうのだ。死ななきゃ治らないレベルの欠陥。好きだと言ってくれる人なんてこの世で一番大切にするべきなのにそういう人を疑って見くびっている私は最低だなと思う。話が少しずれたけど、私のことを好きと言う薮宏太さんは私の好きになった薮宏太さんではないからそうなってほしくないな、ということ。

 そして最後、負け戦をしたくない性格。これまで受験を始めとする人生の選択はすべて、できそうな範囲内で選んできた。身の丈に合った進路に向かって、実現可能性の高い目標を設定して歩くことが幸せだと思う。なぜならそうすると傷つかないから。痛い思いも怖い思いもせずに済む。それがどうだ、アイドルとの恋愛なんて完全に実現しない。アイドルと特別な関係を持ちたいなんて欲望を本気で抱いたら最後、待っているのはストーカー規制法だけだ。そんな自分史上最も勝算のない戦になんか出たくない。


 書いているうちにだんだんわかってきた。おそらく私はリア恋をしないのではなく、したくない。

 画面越しに薮宏太さんが歌って踊って「ファンのみんなへ」の愛の言葉を発信してくれる、そのキラキラしたものたちを受け取ることだけを楽しんでいたいのだ。リア恋をしたら、それらがきっと今より全然楽しくなくなる。欲ばかり先走って、薮宏太さんがくれる大切な愛を「これは私が欲しい愛じゃない」と拒絶すらしてしまうかもしれない。嫉妬深い人間だから、同担拒否どころか地球上の薮宏太さんを好きって言う人全員に「私の方が好きだから」とマウンティングをして回りたくなる。それは薮宏太さんにとって迷惑な行為でしかない。ファンは多ければ多い方がいいだろうし、ファン同士の揉め事なんかあっても良いことは一つもない。

 楽しくオタクをやることと薮宏太さんに恋をすることを天秤にかけたら、今の私にとっては前者のくれる幸せの方が大きいと思う。だから私はリア恋をしたくない。

 でも少なくとも今は、薮宏太さんのことが一番好きです。ここまで一人の人のことを好きかどうか悩んだのなんて久しぶりのことだし、アイドルのことを好きかどうかで悩んだのはこれが初めてです。もしこの先の人生で他に一番ができたとしても、私の2020年夏の一番が薮宏太さんであることに変わりはありません。一生涯ずっと。
 薮宏太さんを好きになってから、さすがにいいことばかりとは言い切れなくなってきたけど、薮宏太さんを好きになって良かった。


 読み返したらたぶんすごく痛くてださい文章だと思いますが、嫌になって消すまでは残しておきます。ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、ありがとうございました。お目汚し失礼しました。

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