「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(4)

西岸氏の年表(作品発表時期など)を参照にしつつ、考察を進めたい。
「三丁目の夕日」は1974年から発表されている。もう一つの代表作「鎌倉ものがたり」は1984年からである。
その間に、練馬区への言及がなされた作品があった。魔界から来た蘭子が主人公である「ポーラーレディ(1984年)」では、職場として東京営業所が登場し、その所在地は東京都練馬区である。
また、1981年から数年間に渡り、「青春奇談」という作品が発表された。本作で特筆すべきは、「町内レベル」の具体的地名が記されている数少ない作品であることだ。
血の繋がらない兄妹が一つ屋根のもと、特殊能力を有する猫と暮らしている。ジャンルとしてはSF作品であり、「三丁目」や「鎌倉」のSF回に通じる。
第1話では、西武池袋線の「富士見台駅」界隈に、主人公が引っ越すことが紹介されている。回が進むと、所沢市の郊外に引っ越している。
前回、「鎌倉」において、ヒロイン亜紀子の出身地が練馬区大泉学園と言及されたことを紹介したが、ある程度「都市化が進んだ街並み」から推察するに、「三丁目」の舞台としては富士見台が相応しいと考える。いかがだろうか。
「三丁目の夕日」をよく読むと、富士見台界隈に関係する事象が頻発している。作品でしばしば登場する駅は「夕日台駅」であるが、語感だけでなく、改築する前の富士見台駅駅舎によく似ているのだ。

また、何度か登場している「うさぎや」という和菓子屋は、同じ名前の店舗が駅近くに現存している。さらに、界隈の大地主の名字が登場人物として登場することもあったし、富士見台駅界隈の地名として「貫井(ぬくい)」があるのだが、布団店の名称として登場したことがある。
さらにいえば、「鎌倉ものがたり」のヒロイン亜紀子の旧姓は、中村である。富士見台駅隣の中村橋駅に由来するのではと思えてしまう。
筆者が西岸氏の作品に親しむようになったのは15年程前で、その後結婚を契機に練馬区内の別の所から、中村橋駅近くに住むようになった。あたりの地理に詳しくなるにつれ、作品との一致に気づくようになった。そして、中村橋付近の医院には、「鎌倉ものがたり」を備えてところが確認できただけ2つあるのだ。

西岸氏は現在、鎌倉方面に在中であるが(これは事実)、それ以前は練馬区の富士見台に縁があり、その経験を元に「青春奇談」に直接地名を出し、「三丁目」は地名出すことなくヒントを得て描いたのではないか。
「青春奇談」の引っ越しは、西岸氏の引っ越し先をなぞっていると考えられる。そして、「青春奇談」コミック版の最終話では、サトサブレなる人物が登場。これは、鎌倉名物「鳩サブレ」に由来するものであり、練馬区に別れを告げ鎌倉に向かったことを暗示しているようだ。
以上から、富士見台駅界隈は西岸氏のゆかりの地ではないか。
次回は、年代、三丁目の町内名特定について考察する。

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