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Looking for lucky 〜幸運を見つけよう〜

どうも。ソラです。

めんどいなって思うこと増えませんか?僕は特にこのところその性をはっきり自覚していますね

大抵のことはめんどいし、逃げたいし、いっそ無かったことにしてしまう
でも逃げるのは罰が悪いので、パフォーマンスというできる人間のような言葉でヒュッとかわしていくかっこよさは欠かせない

僕は同窓会に誘われても、煩わしいとか行ってどうなるものでもないのに、ってことでカッコつけて参加しなかったことあります

そこで僕は思いました。これじゃ損得勘定がSランクになってしまうと
めんどくさいって思える中にあるプライスレスなもの考えてみようと


創造性なしの僕が思うラッキーなこと

偶然いいスポットを見つけた!

今どきSNSで流行りのお店に行くっていうのはスマホゲームのような感覚ですが、何も知らず来て入ってみようかなと自然と足が動くお店を見つけた時は、嬉しくなっちゃいますよね

この偶然って意外と難しいですよね

下調べがあれば、ここかここだと、ワクワク感はあるけども最高潮にならないような気分になりません?
ピュアな気持ちで、歩くことを楽しみつつ、綺麗な小石を探すように、時計のある世界から抜け出すような、そんな心持ちで

それでいて、見つけた後もバズらせようとか考えずに、日記感覚でそっと認めておくと、自分だけの気持ちの良い思い出が作れますよね

人間が感じられたとき

人間のいい面悪い面がこそっと見れるとき、共感や怒りを感じることありますが、その時の自分をほんの少しマクロで見るとラッキーだと思うんですよ

こんな実体験を紹介させてください
大学3年の時に、あまり話したことのない中高の同級生に駅で名前を呼ばれたんです。どうやら駅の中のお店でバイトしてるらしく、バイト中に僕を見つけたんだそう

僕の人間性として陽キャじゃないので、たとえすれ違って認識できても声をかけるまでする人は多くないはずです
僕はその時めっちゃ嬉しくて、インスタの連絡先すら知らない関係の子に壁を感じさせない雰囲気で話したのを、今でも鮮明に覚えています

あとは、1人で外食してる時に、厨房からものすごい指示が飛び交っている時なんか、大変そうだな〜とか考えますよね

これも、本来目に見えないオフィシャルの空間とプライベートの空間の壁を、よじ登って向こうを見ることができた気がして、見ちゃいけないものが見れた嬉しい気持ちになります

ふと教訓めいたことに気づいたとき

これは昔からの癖なんですが、1人であれはああでこれはこうだとか何気なく格言を生み出すことがあるんです
きっと周りに鼻高く言っちゃうとハラスメントになるだろうなってぐらい

最近の事例は、まさにタイトルにある通りです
不甲斐ないとか情けないと思うことたくさんありますけど、それに比べてラッキーと思えること減ってませんか

ブルーな気分になると、ラッキーに気付けないこと多いなとなんとなく気付けたんです
ラッキーに気づける人ってまるで別世界の住人だと思ってますけど、隣近所ぐらいな近さにすぐありますよ

切り替え大事とか言いますけど、実際問題できないこと多いですよね
大なり小なり幸運に気づける心の隙間があれば、子供の頃のように楽しさを感じやすくなるんじゃないかなと、そう考えた次第でございます

最近の僕はというと

そんなことに気づいた僕は、人当たりが良くなった気がします
きっと薄情だと見透かされていたでしょうから、エセくさい匂いが漂っているかもわかりませんが、綺麗に笑えてると思ってます

車の運転の練習中ですが、一向に上手くならないバック駐車が稀に1発でできたとき嬉しかったですね ラッキーでした!

すごいいいこと書けた気がします 歌でも作っちゃおうかな

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